横山やすし 暴力。 山口組兄弟分が明かす、横山やすし「吉本解雇後」最後の7年間

漫才師の横山やすしは、当時山口組中野組だった義竜会会長の竹垣悟と「...

横山やすし 暴力

実は「静かなるドン」よりはるかに面白い新田たつお原作のコミックをまさかの横山やすし主演で実写化。 ただ実際は西川のりおとのダブル主演の様相が強く、紳助竜介がゲストで登場するなど、当時のメインターゲットだったであろう「ひょうきん族」世代に目配せをしたキャスティングになっている。 変声期前の木村一八がアイドル然と出てくるのにも開いた口がふさがらない。 ほかにも長門勇、南利明、志麻いづみ、朝比奈順子、井上麻衣、高田純次、ベンガル、三谷昇、斉藤ゆう子、たこ八郎、そして伊東四朗などアクは強いが芝居には定評のある実力派個性派をズラリ揃えており、その異様に豪華なキャストだけでも当時のプログラムピクチャーとして立派に成立している。 しかも監督は当時の東映きっての職人監督・山口和彦である。 結果、本格的なバイク&爆破アクション、脱力系の笑い、そして脇役の濃い芝居とやっさんの棒読み台詞が過激に交錯する問答無用のバカ邦画に成り果てた。 このバカさ加減、鈴木則文の『パンツの穴』と並び立ってると思う。 バイクと不良が暴れ回る つまりは『マッドマックス』インスパイア系 映画としては、実は広い意味で『狂い咲きサンダーロード』とかともつながってくる1作だが、インディーズならではの勢いとハングリーさ加減でギリギリスタイリッシュに見せる『狂い咲きサンダーロード』などに対し、こちらは天下の東映ならではの大上段的な泥臭さ満載。 原作も相当に面白いので、映画とは別にリメイクすべき作品と信じる。 深夜ドラマはどうだろう。 無理に映画をトレースする必要もないし。 木村一八主演でVシネマっていうのも見たい気はするけどね。 横山やすしが拳銃所持を許可された教師に扮して暴力学園に立ち向かう学園ものですが、暴力には暴力を、というタカ派的路線でもなく、管理教育批判でもありません。 教育的にどの立場にも立ってません。 むしろ、教育現場をあくまでもお笑いの材料として見たナンセンス映画。 そこがいいところでも悪いところでもあります。 生徒の暴力も、レイプも、逃げまどう教師も、銃を撃ちまくる横山やすしも、すべてナンセンス劇の記号でしかないので、ただただ笑えます。 陰惨さはまったくありません。 その分、どの登場人物にも共感できず、何の感動もありません。 でも、変な主張をせず、校内暴力問題も東映流に見事に料理しております。 何せ悪の生徒の親玉はナチスの親衛隊の制服着て、ハーケンクロイツの旗を掲げて出てきますし、西川のりおはあり得ない量の放尿。 噴水のごとく噴出して虹も出ます。 横山やすしは銃は撃っても一人も殺しません。 なのに相手は「今回はオレの負けだ」と勝手に負けを認めてくれます。 ここがまた不思議なケンカのルールで、どうも腑に落ちないところです。 銃は使っても、レイプしても、あくまでもケンカ。 暗黙のルールは破られません。 殺人が起こってしまっては、「お笑いの材料」とならないからでしょうけど、もうこの際、大量殺人も全部お笑いで描いてくれたら、もっとすごい映画になっていたと思います。 ラスト、スーツ姿の横山やすしが棺おけに入れられて埋められた後、何の説明もなく墓が爆発し、バトルスーツ姿になって登場します。 ここのナンセンスな感覚は最高です。 あややの「スケバン刑事」で最後にバトルスーツになるのは、この映画でも守られている東映の伝統なんですね。

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横山やすし

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横山やすしのプロフィール 本名 :木村雄二 生年月日:1944年3月18日 没年月日:1996年1月21日 出生地 :高知県宿毛市沖の島弘瀬 出身地 :大阪府堺市(現在の堺区) 身長 :163cm 血液型 :B型 横山やすしさんは、1966年に西川きよしさんと結成した漫才コンビ「やすしきよし」で国民的人気を博した伝説的漫才師です。 マシンガンのように矢継ぎ早に展開する巧みな話芸で観客の爆笑をとめどなく誘い、天才と評される一方で、酒癖の悪さから、無免許運転や飲酒運転、傷害事件、二日酔いによる番組ドタキャンなど、度々不祥事を起こした事で、1989年に所属していた吉本興業から解雇されます。 その後は、芸能界への本格復帰も叶わず、1996年に51歳の若さで寂しくこの世をさりました。 しかし、横山やすしさんの強烈な個性と、その破天荒な生き様は多くの人々に愛され、関西漫才界の歴史を代表するカリスマとして、現在も伝説的に語り継がれています。 今回は、そんな横山やすしさんに焦点を当てます。 横山やすしの生い立ちと経歴 横山やすしの誕生から漫才師になるまで 横山やすしさんは、太平洋戦争中の1944年3月18日、高知県宿毛市沖の島の弘瀬という場所で誕生しました。 体重2キロ二みたいない未熟児だったそうです。 父親は沖の島に巡業に来た旅芸人で、母親は同地の旅館で仲居として働いていた女性で、婚外子でした。 横山やすしさんは生後3ヶ月で、高知県に疎開してきていた木村家に養子に出され、戦争終了後は大阪府堺市へと移住しそこで育てられました。 堺市立旭中学校へと進学した横山やすしさんは、同級生がラジオ番組の歌合戦で合格した事に刺激を受けて素人参加型のラジオ番組「漫才教室」に出演し、それをきっかけにしてプロの漫才師を志すようになります。 中学卒業後、横山やすしさんは「松竹新演芸(現在の松竹芸能)」に入社。 漫才作家の秋田實さんに弟子入りして修行を積みました。 そこで横山やすしさんは「堺伸スケ」という芸名を名乗って同級生と漫才コンビ「堺伸スケ・正スケ」を結成して漫才師デビューを果たします。 当時大阪市にあった松竹芸能運営の劇場「角座」で、初舞台を踏みますが、その2年後の1961年にコンビは解散してしまいます。 横山ノックに弟子入りし「横山やすし」の芸名を授かる その後、横山やすしさんは、当時の人気漫才師・横山ノックさんに弟子入りする事になり、これを機に「横山やすし」の芸名を与えられ、同時に吉本興業へと移籍。 その後、横山やすしさんは何度も漫才コンビを結成しますが、熱心すぎる横山やすしさんと相方の間に温度差が生じて毎回コンビは解散となり、「コンビ別れの名人」という不名誉なあだ名で呼ばれるようになります。 伝説の漫才コンビ「やすしきよし」結成へ コンビ解散を繰り返し、一時は漫才師廃業を考えた横山やすしさんでしたが、そんな折に、浪曲漫才コンビ「中山礼子・八多恵太」の2人に、吉本新喜劇の役者だった西川きよしさんとコンビを組むことを勧められます。 当初はコンビ結成を周囲に反対された2人でしたが、1966年に漫才コンビ「やすしきよし」を結成。 独特なテンポでボケとツッコミが次々と入れ替わる「型破り漫才」がウケ、結成からわずか1年足らずで「第2回上方漫才大賞」で新人賞を獲得。 これをきっかけにして「やすしきよし」は当時爆発的に普及しつつあったテレビに頻繁に出演するようになり、瞬く間に国民的な人気を獲得。 結成わずか5年足らずの1970年には「第5回上方漫才大賞」で大賞を獲得し、名実ともに日本一の漫才コンビへと躍進する事になりました。 なお、1969年11月には、横山やすしさんの長男の木村一八さんが誕生しています。 人気絶頂となるも不祥事を繰り返しレギュラーを次々と降板 「やすしきよし」として人気絶頂を向けた横山やすしさんでしたが、この頃から、その破天荒すぎる行動によって度々不祥事を起こすようになります。 1970年には、タクシーに乗車した際に、無理やり運転を代わらせてタクシーを走行させ、運転手への傷害と無免許運転で起訴され、2年4ヶ月の謹慎処分を受けます。 1973年春に芸能界復帰を果たし、その年に最初の妻と離婚し、1975年に3歳年下の一般女性、木村啓子さんと再婚。 この妻・啓子さんとの間には、横山やすしさんにとって第3子となる次女・光さん(漫才コンビ「さゆみ・ひかり」の木村ひかりさん)が1980年10月19日に誕生しています。 1977年4月には、またしてもタクシー運転手とトラブルを起こし、差別的な暴言を吐いた上、タクシーの車体に蹴りを入れるなどして、運転手から訴えられ、民事裁判で10万円の慰謝料支払いを命じられています。 1982年、横山やすしさんは生放送の情報バラエティ番組「久米宏のTVスクランブル」にコメンテーターとしてレギュラー起用されますが、なんとこの頃から酒に酔った状態でテレビ出演するようになり、放送中に共演者に暴言を吐いたり、放送禁止用語を連発したり、時には「黙秘権」を主張して一切喋らなくなったり、放送中にトイレに行ったり、観客に話しかけたりと問題行動を連発します。 そして、1984年11月、飛行機に乗り遅れて生放送に穴を開けたのがトドメとなり番組を降板させられ、吉本興業からも無期限の謹慎処分を受けてしまいます。 さらに、その翌年の1988年には、二日酔いを理由にレギュラーだったクイズトーク番組「三枝やすし興奮テレビ」をドタキャンし、これも降板。 以降、同番組は「三枝きよし興奮テレビ」へとタイトルが変更されています。 息子・木村一八の傷害事件をかばった挙句自らも不祥事を起こし解雇へ 1988年11月、今度は横山やすしさんの息子で、俳優として芸能界デビューしていた木村一八さんが、タクシーの運転手に暴行を働き重傷を負わせ逮捕される大事件を起こします。 マスコミの取材を受けた横山やすしさんは、当初事件の重大性を認識しておらず、「息子を甘やかしすぎたのでは?」とのレポーターからの質問に対し「おい、ねぇちゃん!俺は厳しく教育してるぞ」と反論「男は喧嘩するくらいで丁度ええ!」と、息子・木村一八さんの行動を正当化するような発言をします。 しかし、実際には木村一八さんが暴行を働いたタクシー運転手には何の落ち度もなく、直前に別のタクシーに乗車拒否を受けた木村一八さんが、次に停車したタクシーの車体に一方的に八つ当たりのように蹴りを入れ、驚いて降りてきた運転手にも仲間達と共に殴る蹴るの暴行を加え、障害が残るほどの重体に陥らせたという、極めて悪質な事件でした。 後に、事件の詳細を知った横山やすしさんは謝罪し、自ら責任を取る形で無期限謹慎を申し入れています。 1989年3月に復帰したものの、翌4月に飲酒状態で車を運転してバイクを相手に人身事故を起こします。 事故後の会見で横山やすしさんは、「わざとやったわけじゃないのでどうぞ宜しくお願いします。 」と軽いノリでマスコミに受け答えしますが、再三にわたって不祥事を起こされた吉本興業は、ついに堪忍袋の緒が切れる形で、横山やすしさんに解雇を通達したのでした。 これによって、横山やすしさんは芸能界の華やかな舞台から退場する事となったのでした。 横山やすしの悲惨な晩年 吉本興業から解雇処分を受けた後、横山やすしさんは悲惨な晩年を送っています。 芸能界から干された形になった横山やすしさんは、収入が全くなくなり、家計は嫁の啓子さんがNHK集金のパートタイマーなどで働き支えました。 1992年、内田裕也さん主演、宇崎竜童監督の映画「魚からダイオキシン!! 」にヨコヤマ役で出演し芸能界に復帰しますが、メジャーなテレビの世界には戻れず、「ミナミの帝王」シリーズの第1作目「トイチの萬田銀次郎」など、Vシネマの世界へと活動の場を移しています。 同年の7月には、右翼団体「風の会」から、第16回参議院議員通常選挙に比例区で出馬しますが落選。 落選後のインタビューで横山やすしさんが言い放った「国民がアホや!」の言葉は流行語になり、その人気の健在ぶりを示しますが、不祥事を繰り返した横山やすしさんを使うテレビ局はなく、華やかな世界に戻る事は叶いませんでした。 この選挙直後の8月、横山やすしさんは何者かから暴行を受けて重傷を負い緊急入院。 この影響で一時は失語症になるなどしています。 この時の犯人は捕まっておらず、選挙がらみの恨みとも、横山やすしさんが人妻相手に不倫をしており、その相手の夫から報復を受けたとも噂されています。 1993年、横山やすしさんは妻の啓子さんと共に、コメディ界の大物・大村崑さんの自宅を訪れ「これからは夫婦で漫才をしたい」と相談しますが、大村崑さんは「まずは君が元気でいる事を世間に知らせるのが先だ」と諭し、「やすしを囲む会」を企画します。 この会には150人ほどが集まったものの、肝心の芸能関係者や、相方の西川きよしさんはじめ、かつての芸人仲間は、ほとんど誰も来ない寂しいものとなり、大村崑さんは後の横山やすしさんの葬儀の場で「あの時(やすしを囲む会)は応援せずに、今になって」と怒りを露わにしています。 1995年7月、横山やすしさんは、京都府八幡市の石清水八幡宮で開催された太鼓まつりにゲスト出演し、久々に大衆の前に姿を見せましたが、当時50歳とは思えないほど、体は老け込んでやつれてふらつき、まるで高齢者のようであったと、観覧した人々に衝撃を与えました。 そして、それから間も無くの1996年1月、横山やすしさんは51歳の生涯を閉じます。 横山やすしの最期と死因 横山やすしさんは1996年1月21日の夜、大阪府摂津市の自宅で意識を失っているところを妻の啓子さんに発見されます。 発見された時にはすでに心臓と呼吸が停止しており、緊急搬送された病院で死亡が確認されています。 横山やすしさんの死因は「アルコール性肝硬変」でした。 晩年の横山やすしさんは、まるで水のように、浴びるように酒を飲んでおり、1986年にはアルコール依存症および、重度の慢性肝炎との診断を受けており、医者からは酒をやめなければ10年以内に死亡すると警告を受けていました。 しかし、横山やすしさんは医者の警告を無視して酒を飲み続け、死の前日にも大量のビールを飲んで吐き出し、妻の啓子さんに「ちょっと調子がおかしいから明日病院に行かなあかん」と話していたそうです。 横山やすしは晩年、暴力団「山口組」幹部の世話になっていた? 悲惨な晩年を送った横山やすしさんでしたが、2019年、週刊新潮の取材によって横山やすしさんがその最後の数年間を、指定暴力団「山口組」の幹部(当時)の世話になっていた事が明らかにされました。 1992年から1993年頃に、当時、山口組中野会若頭補佐だった竹垣悟さんは、直系の親分だった山口組若頭補佐(当時)の中野太郎さんから「やすしを使ったってくれへんか?」と横山やすしさんの面倒を見るように頼まれたのだそうです。 元々、横山やすしさんのファンだったという竹垣悟さんはこれを承諾し、営業(今話題の闇営業)を世話したり、横山やすしさんが訪れるたびに5万円から10万円程度の小遣いを渡したりと色々と生活の面倒を見ていたようです。 また、晩年は多額の借金で首が回らなくなっていた横山やすしさんが、借金取りに対し裏社会の大物だった竹垣悟さんの名前を出せるようにと、竹垣悟さんは1994年に横山やすしさんと兄弟盃を交わす事までしています。 晩年の横山やすしさんは、山口組系の幹部を頼りなんとか糊口をしのいでいたようです。 横山やすしさんは、自身が司会を務めていた演芸番組「ザ・テレビ演芸」で、今やお笑い界の超大物となったお笑いコンビ「ダウンタウン」の2人を公開説教しています。 当時、ダウンタウンの2人は「ライト兄弟」のコンビ名で出演し、彼らのウリである尖った漫才を披露して会場を沸かせましたが、これに対して横山やすしさんが痛烈な批判を展開。 ダウンタウンの2人はこの時の漫才で当時社会問題になっていた「家庭内暴力」を取り上げ、「親なんて本気出したらいつでも殺せる」「おとんとか先生を直接殴ったら問題になるので、藁人形で釘打つ」といった極めて過激な内容の漫才を展開しました。 このダウンタウンの漫才を横山やすしさんは、「あんたら2人は悪質な笑い」「こんなんテレビ出るような漫才とちゃう」と痛烈に批判し、「ライト兄弟」というコンビ名にまで「航空ファンにまで迷惑をかける」とケチをつけました。 前述の通り、横山やすしさんとダウンタウンの2人には因縁があったため、報復的に揶揄しているのでは?と、この「やすしくん」に対しての批判的意見も少なからずあり、さらに、横山やすしさんがセスナ機から「日本一の漫才師死ぬ!」と言って飛び降りるコントを放送した直後に、横山やすしさんが本当に急逝したために問題化し、このコントは打ち切りになっています。 その中でも、1980年にセスナ機を購入した時のエピソードは伝説として語られています。 息子の木村一八さんによれば、その日横山やすしさんが突然、当時中学2年生だった一八さんに「今からアメリカに飛行機を買いに行くから見届けろ」とアメリカへ連れて行き、購入に立ち会わせたのだそうです。 横山やすしさんは、7000万円を現金で用意するとそのまま渡米、購入交渉時には日本語でまくし立て、強引に1500万円も値引きさせたのだそうです。 ただ、別の筋からは、横山やすしさんは、頭金の5000円だけを支払ってあとは踏み倒したというエピソードも語られているため、どちらの話が真実かは不明です。 セスナ機に関する伝説としては、タレントの島田洋七さんがセスナ機に乗せてもらった際、横山やすしさんに「忙しいのによく免許取れましたね」と尋ねると「免許?そんなもんあるかい!」と言い放ったというエピソードが知られています。 もっとも、横山やすしさんは操縦はしていたものの、もう1人正式なパイロットが乗っており、離着陸などはそのパイロットが担当していたと言う事なので事故は起こらなかったようです。 若い頃、一時、競艇選手を夢見たものの視力が規定に達しなかったためその道を諦めた横山やすしさんでしたが、漫才師として成功したのちに特例でボート選手のライセンスを交付され、自らボートを購入し、私財を投入してボートレースチーム「横山レーシング・チーム」を結成しています。 自らもボートを駆りアマチュアのボーレースに出場し、「全日本K400選手権大会」で優勝するなどの実績も残されています。 横山やすしさんの葬式に参列した、中学時代からの親友で、競艇のスター選手の野中和夫さんは弔辞で、「今度俺がそっちへ来たらお前と一緒に走ろう!古いエンジンも持ってきたる!」と語りました。 横山やすしの名言集 その破天荒な生き様で多くの人々の心を魅了した横山やすしさんは、数多くの名言を残されています。 その名言のいくつかを紹介します。 断るんも仕事のうちやで? 子供たちには高い理想を持ち、理想に溺れることなくして自分のやりたいことをやってほしいと思うし、もし俺たちが必要る いる ときは声さえかけてくれればいつどこへでも出陣する用意は出来ているから、安心して伸びのびとやれ。 奥サン!旦那の帰りが遅いのやったら、そうツノ立てンと、冬なら熱いうどん、夏なら冷やっこいそうめん、用意して迎えたりーな。 男なンて、ちょろいもンやで、ほンま。 男は喧嘩するぐらいが丁度いい。 最近のマスコミは、片手落ちの過保護報道や。 もう、つっぱるの、やめよか。 破天荒な行動で人々を楽しませた横山やすしさんらしい名言ばかりです。 ただ、横山やすしさんはファンの期待を裏切らないために、わざとこうした破天荒なキャラクターを演じていたと言われています。 その命を蝕んだ酒についても、実は本当は酒が弱く、「芸人なら酒を飲んでいなければ舐められる」との想いから無理をして飲酒を続けていたとも言われています。 破天荒な行動の裏に、本当は弱く繊細で優しい姿があったからこそ、横山やすしさんは当時の人々に愛されたのでしょう。 まとめ 今回は、昭和の時代を象徴する伝説の漫才師・横山やすしさんについてまとめてみました。 横山やすしさんは、天才漫才師として人気を集め一斉を風靡し、一時代を築き上げましたが、その一方で、その破天荒すぎる言動で度々世間を騒がせ、起こした不祥事の数は2回や3回では済みません。 その度重なる不祥事の結果、吉本興業を解雇されその晩年は日の当たらない寂しいものでした。 ただ、その個性にあふれた魅力的なキャラクターがあったからこそ、横山やすしさんはその時代の人々に愛されました。 現在でも横山やすしさんの生き様は人々の心に刻まれており、これからも伝説として永遠に語り継がれて行くことでしょう。

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共に大物で吉本を辞めた島田紳助と横山やすし、どっちがタチ悪かったです...

横山やすし 暴力

構成員にはなりません。 あなたの言う通り、親子盃ではなく兄弟盃なので、 義竜会の構成員になる必要は一切ありませんし、 暴力団関係者という事で間違いないでしょう。 もし兄弟盃でその組織の構成員になってしまうなら、 暴力団同士でも他組織の人間との兄弟にはなれません。 例えば山口組と稲川会は昔から最高幹部が兄弟盃をし、 長らく親戚組織として成り立っていますが、 どちらがどちらの組織の傘下でもなく別組織ですからね。 ただ、あくまでそれは暴力団世界の考え方であって、 警察からすれば構成員と扱われるかもしれません。 ちなみに竹垣氏との盃については本人が、 山口組や中野会として兄弟盃を交わしたわけではなく、 あくまで竹垣家として盃を交わしたと語っています。 ヤクザの世界で盃を交わすと言う事は家族になると言う事です。 ですので盃を交わした時点でヤクザになります。 ヤクザは警察では構成員と表現します。 漫才師の横山やすしさんが山口組系中野会傘下のの義竜会会長の竹垣悟と「兄弟盃」を交わしたなら、 漫才師の横山やすしさんは中野会の構成員となります。 また中野会傘下の義竜会は山口組傘下の組織ですので、漫才師の横山やすしさんは山口組の構成員となります。 因みに 「準構成員」とは盃を交わしてはいないが、組事務所に出入りしている人の事です。 ついでに 兄弟盃とは親(組長・会長・・・)と兄弟になる事で、親子盃は親(組長・会長・・・)の子(ヤクザ)になると言う事です。 ですので 漫才師の横山やすしさんが山口組系中野会の義竜会会長の竹垣悟と「兄弟盃」を交わしたら、中野会の義竜会会長の竹垣悟と「親子盃」を交わし竹垣悟の子(やぐさ)らの「おじき」になります。

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