ダ ヴィンチ 漫画。 レオナルド・ダ・ヴィンチの師匠:第1巻|漫画が全巻無料の読み放題(3367タイトル)

ダ・ヴィンチ 2020年6月号

ダ ヴィンチ 漫画

レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci 1452-1519 イタリア 盛期ルネサンス 、と並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。 中でもこのレオナルド・ダ・ヴィンチは名実ともに最大の画家として知られる。 また画業の他、彫刻家、建築家、科学者としても名を馳せる万能人であった。 フィレンツェ西方のヴィンチ村で生まれ、1466年頃ヴェロッキオの工房へ入門、そこで頭角をあわらし、以後は活動拠点をフィレンツェ、ミラノを何度か往復させながらローマへ向かう。 晩年はフランソワ一世の招きによりフランスへ渡るものの、67歳で客死。 卓越した遠近法の技術も然ることながら、完璧主義者であったレオナルド自身が考案した技法の『スフマート(ぼかし技法)』を用いた作品は、以降の画家に多大な影響を与えた。 レオナルドが1500年頃に制作したと考えられている主イエスの半身像を描いた本作は160億円(2億ドル)の価値があるとされている。 レオナルド・ダ・ヴィンチ単独の制作による最も初期の作品『受胎告知』。 フィレンツェ郊外のサン・パルトロメオ・ディ・モンテオリヴェート聖堂の旧蔵となる本作は、すでにレオナルドは独立はしていたものの、まだ画家の師であった彫刻家ヴェロッキオの工房で活動をおこなっていた1472-1473年頃に手がけられたと推測され、明確な記録等は残っていないが異論なく真筆であると認められている。 祝福のポーズと共にマリアへキリストの受胎を告げる、神の使者大天使ガブリエル。 聖母マリアの気品に満ちた穏やかな表情や、非常に写実的に描写される野草や床面、空気遠近法を用いた高度な場面・遠景表現など、画面からは20歳頃のレオナルドの豊かな才能が随所に垣間見れる。 なおパリのルーヴル美術館には、かつてレオナルド・ダ・ヴィンチの作とされていたものの、現在ではレオナルドと同様ヴェロッキオの工房で学んでいたロレンツォ・ディ・クレディの作とされる『受胎告知』が所蔵されている。 関連: ロシアが誇る美の殿堂、エルミタージュ美術館の至宝、レオナルド・ダ・ヴィンチ初期の作品『ブノワの聖母』。 やや硬さを感じる聖母マリアの左手、幼児キリスト右脚の厳しい明暗や境界線など、レオナルドらしさが存分には感じられず、画家屈指の名作とは呼べないまでも、作品が持つ気品や慈愛に満ちた聖母の表情は、初期の作品とは思えないほど優雅かつ繊細に描かれている。 本作は名門貴族クラーキン公のコレクションからフランスの画家レオン・ブノワの手に渡り、その後、ロシア皇帝ニコライ2世が購入したことから『ブノワの聖母』と呼ばれることとなった。 また画面右上の白々とした窓の風景は未完成の為、又はレオナルド自身が塗りつぶしたなどの理由が推測されている。 レオナルド独自の技法『スフマート(ぼかし技法)』によって表現される聖母の輪郭は、暗い背景に溶け込み、慈愛に満ちた聖母の人物をより際立たせている。 聖母マリアが差し伸べた小さな花を見つめる幼児キリストの表情は幼いながらも気高さと神々しさを放ち、救世主であると同時に絶対者としての威厳に満ちている。 なお画面右上の白々とした窓の風景に関しては未完成とする説、レオナルド自身が塗りつぶしたとする説などの様々な理由が推測されている。 ルネサンス三大巨匠のひとりレオナルド・ダ・ヴィンチ未完の傑作『東方三博士の礼拝』。 本作は1482年にレオナルドがミラノへと向かった為、モノクロームの状態(未完状態)でフィレンツェに残された作品で、1621年にはその所有権がメディチ家へと移行している。 前景では画面中央に配される聖母マリアと幼子イエスを中心に、東方の三王や民衆たちが円状に囲みながら平伏すような姿で聖母子を礼拝している。 そこでは様々な人物において性格付けや行動的人間性が示されており、レオナルドの自然主義的側面が明確に表されている。 さらに後景左側には廃墟的な階段や建築物、後景右側には騎馬の一団が描き込まれており、画面内の空間構成や構図展開において類稀な革新性を見出すことができる。 さらに主題の解釈においても、当時、問題視されることになった主の御公現(エピファニア。 主イエスへの公式的礼拝)を意識させる内容が示されており、レオナルドのそれまでの伝統に捉われない挑戦的な意図が感じられる。 現在ポーランドのツァルトリスキー美術館が所蔵しているレオナルドが制作した肖像画の代表作のひとつ『白テンを抱く貴婦人の肖像』。 最初のミラノ滞在時に制作された肖像画のモデルはミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾(または同氏が結婚以前に寵愛していた)チェチリア・ガッレラーニと推定されており、背景に輝く肌の質感を透明感のある色彩で描かれた本作は、今なお色褪せることなく、完成されたレオナルドの作品として公開されている。 黒色真珠を身に着ける、ミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾、チェチリア・ガッレラーニの肖像にみられる、左斜め方向を見つめる視線、微かに微笑む口元と、成熟した女性ではない、あくまで若々しい少女の表情を、卓越した観察眼で捉えた。 またチェチリア・ガッレラーニがやさしく抱いている、写実的に描かれた当時、冬の衣服として用いられていた白テンの毛皮は、本作では純潔の象徴としても解釈される。 言わずと知れたルネサンス期の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ不朽の祭壇画『岩窟の聖母』。 このルーヴル美術館版は画面全てがレオナルドの真筆とされ、本来ならばミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の礼拝堂を飾る作品であったが、当時、レオナルドとこの祭壇画の依頼主との間で作品の構成や報酬を巡りトラブルがあり、それを仲裁した(当時ミラノを治めていた)フランス王ルイ12世に、レオナルドが献上したとされる。 本作では聖母マリアを中心に、左に幼児の姿をした洗礼者聖ヨハネ、右部分に祝福を与える幼子イエスと、大天使ウリエルを配されているが登場人物に神的人格の象徴である光輪が描かれていない点や、大天使ウリエルが人差し指で首を斬る仕草を示している点、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの明確な区別が為されていない点(通常、洗礼者聖ヨハネにはアトリビュートである獣の衣や十字の杖などが描かれる)などから祭壇画としての役割が果たせないとして、祭壇画の依頼主から受け取りを拒否されている。 なお一部では大天使ウリエルが洗礼者聖ヨハネの守護天使であることから、洗礼者聖ヨハネが神の子イエスを祝福していると、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの解釈を逆とした異説が唱えられているも、確証は得ていない。 関連: が当時のフランス王ルイ12世に献上されたため、改めてサン・フランチェスコ・グランデ聖堂へ納められた作品となったのが本作『岩窟の聖母』。 本祭壇画はレオナルドが描いた最も重要な中央部分(本作部分)とその開口戸となる両脇部分から構成され、その両脇部分はデ・プレディス兄弟が担当しており、本作のやや硬質的な表現手法や明暗対比の大きい暗中の陰影表現などから、構図はとほぼ同じであるが描いたのはデ・プレディス兄弟とするのが一般的な説である。 本作ととの最も決定的な差異は登場人物にある。 幼児洗礼者聖ヨハネにアトリビュートである十字の杖と衣を加え、幼子イエスとの間に明確な区別が為されている他、大天使ウリエルを除く聖母マリア、幼子イエス、幼児洗礼者聖ヨハネには神的人格の象徴である光輪が描かれている点や、大天使ウリエルの軽やかな衣服の表現やポーズの変更など、より依頼者の望みに則した表現が用いられている。 関連: レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』。 本作は技巧的にも、壁画で通常用いられるフレスコは使用されず、油彩とテンペラによって描かれているため、完成後まもなく遜色が始まり、それに加え食堂が馬小屋として使用されたことで湿気に晒されたことや、第二次大戦での建物全壊(奇跡的に壁画は無傷)などが重なったことによって、壁画として保存状態が悪かった期間が長かった為、もはや、この傑作を原型のまま鑑賞することはできない。 関連: 『モナ・リザ』。 レオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された、この絵画史上最も名の知れたあまりにも有名な肖像画は、レオナルド自身にとっても特に重要な作品であったと考えられており、『』、『』と共にフランソワ一世の招きにより渡ったフランスでの最晩年まで手元に置いていたことが知られている。 本作を美術史的観点から名画中の名画と言わしめるのは、一切の筆跡を残さないスフマート(ぼかし技法)による表現に他ならない。 このレオナルドによって考案された輪郭線を用いず陰影のみによって対象を表現する薄塗り技法は、同時代最大の巨匠のひとりを始めとするの技法とは決定的に異なっており、その完成には膨大な時間と手間がかかる。 当時レオナルドが滞在していたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の廻廊の二本の円柱が両端に描かれている(本作はその両端部分がどこかの時代に切断されたと推測される)ことが研究によって明らかになっている本作で用いられる、肖像画において斜めに対象人物を配する構図は主に初期ネーデルランド絵画で用いられていた構図であり、その後、交友のあったを始めとする数多くの画家達の肖像画制作の過程において多大な影響を与えた。 著書『美術家列伝(1550年)』の中のフランチェスコ・デ・ジョコンドの妻リーサ・ゲラルディーニ説からモナ・リザと呼称されるようになった本作の最も大きな謎のひとつであるモデルについてはジュリアーノ・デ・メディチの愛人説、コスタンツァ・ダヴァロス説、自画像説、イザベラ・デステ説、レオナルドによる極めて高度に理想化された人物像とする説など諸説挙げられるも確証を得るに至らず、依然として不明であり今なお研究と議論が続いている。 なお本作は1911年に一度盗難に遭うも2年後、フィレンツェで発見された。 なお画家と同じくルネサンス三大巨匠のひとりに挙げられる年下のは本作を残しており、このスケッチは本作の研究資料として現在も重要視されている。 論拠としてモナリザの瞳の中に両者の頭文字「L」と「S」が記されているとしている。 今後の更なる調査が期待される。 しかしルーヴルのものと比べ同作品の素材がカンバスである点など異論も数多く残されており、今後の動向が注目される。 ルネサンス三大巨匠のひとりであり、万物の天才とも呼称される画家レオナルド・ダ・ヴィンチが残した秀逸的下絵習作『聖アンナと聖母子(画稿)』。 本作は画家晩年期の最高傑作の1点と名高く、レオナルドが最後まで手放さなかったルーヴル美術館所蔵の『』に通じる、大凡10年ほど前に制作された画稿(下書き)である。 画面上部に配される聖アンナは娘である聖母マリアへ慈愛的な眼差しを、聖母マリアはその胸に抱く幼子イエスへやや憂いを帯びた眼差しを向けており、三者の関係性を視線で表している。 また神の子として降誕した幼子イエスは、同じく幼子の姿をした洗礼者聖ヨハネへ祝福の仕草を示しており、聖ヨハネは信仰深い眼差しを幼子イエスへ向けている。 来歴として少なくとも1791年には英国のロイヤル・アカデミーに所蔵されていたことが知られている本作は、レオナルドが1482年から18年間滞在したミラノを離れる最後期に手がけられた画稿であるが、その表現手法に注目しても明確な線描(トスカーナ美術の典型として知られる)と立体感と光彩を独特に誇張したキアロスクーロ(明暗法)を用いた人物描写は、画家の卓越したデッサン力をよく示すものであり、今も観る者を驚かせると同時に強い感銘を与える。 なお本作とは別に1501年フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータ修道院で公開された習作の存在が伝えられている。 関連: 完成していればレオナルドの最高傑作のひとつとして数えられていたであろう、晩年期に制作された未完の大作『聖アンナと聖母子』。 また未完とはいえ、人物の柔らかくも甘美さを併せ持つ表情や、スフマートで描かれる卓越した表現技法などから、多くの画家がこの作品を模写している。 キリストに手を差し伸べ抱き上げる聖母マリアは、新約聖書ルカ福音書では、夫となる聖ヨセフとの婚約中、大天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる。 五世紀前半からは神(キリスト)の母や無原罪の女性として崇敬の対象となった。 この世の終焉に現れるメシア(救世主)とされる羊と戯れる幼子キリストの名称は元来、油を塗られた者の意で、王に与えられる称号であった。 夫であるヨアヒムと20年近く連れ添いできた始めての子供で、聖母マリアの母として知られる聖アンナの我が子(マリア)と孫のキリストを見つめる表情は、聖者に相応しく穏やかさと慈しみに満ちている。 制作の詳しい経歴は不明だが、ダ・ヴィンチ最晩年の作品とされる『洗礼者聖ヨハネ』。 晩年期は失意の中フランソワ一世の招きによりローマを去り、フランスへ向かったダヴィンチが同地で描き、本作と『』、『』の三作品は生涯手元に残した。 なおモナリザを思わせる聖ヨハネの端正な顔立ちと微笑みは、ダ・ヴィンチが同性愛者だったという推測に基づき、寵愛していた弟子ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)をモデルにしたという説もある。 ヨルダン川でキリストの洗礼を行なった者とされる洗礼者聖ヨハネは、バプテスマのヨハネとも呼ばれ、都市生活から離別し、神の審判が迫ることを説き、人々に悔い改めの証として洗礼を施すが、ヘロデ王の娘サロメの願いにより斬首刑に処された。 また本作を始め、レオナルド作品によくみられる、この天に向け人差し指を指すポーズ。 ここでは天からの救世主キリストの到来を予告し、道を平らかにするよう悔悛を説いてると解釈されている。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ Leonardo da Vinci 1452-1519 イタリア 盛期ルネサンス 、と並ぶ盛期ルネサンスの三大巨匠の一人。 中でもこのレオナルド・ダ・ヴィンチは名実ともに最大の画家として知られる。 また画業の他、彫刻家、建築家、科学者としても名を馳せる万能人であった。 フィレンツェ西方のヴィンチ村で生まれ、1466年頃ヴェロッキオの工房へ入門、そこで頭角をあわらし、以後は活動拠点をフィレンツェ、ミラノを何度か往復させながらローマへ向かう。 晩年はフランソワ一世の招きによりフランスへ渡るものの、67歳で客死。 卓越した遠近法の技術も然ることながら、完璧主義者であったレオナルド自身が考案した技法の『スフマート(ぼかし技法)』を用いた作品は、以降の画家に多大な影響を与えた。 レオナルドが1500年頃に制作したと考えられている主イエスの半身像を描いた本作は160億円(2億ドル)の価値があるとされている。 レオナルド・ダ・ヴィンチ単独の制作による最も初期の作品『受胎告知』。 フィレンツェ郊外のサン・パルトロメオ・ディ・モンテオリヴェート聖堂の旧蔵となる本作は、すでにレオナルドは独立はしていたものの、まだ画家の師であった彫刻家ヴェロッキオの工房で活動をおこなっていた1472-1473年頃に手がけられたと推測され、明確な記録等は残っていないが異論なく真筆であると認められている。 祝福のポーズと共にマリアへキリストの受胎を告げる、神の使者大天使ガブリエル。 聖母マリアの気品に満ちた穏やかな表情や、非常に写実的に描写される野草や床面、空気遠近法を用いた高度な場面・遠景表現など、画面からは20歳頃のレオナルドの豊かな才能が随所に垣間見れる。 なおパリのルーヴル美術館には、かつてレオナルド・ダ・ヴィンチの作とされていたものの、現在ではレオナルドと同様ヴェロッキオの工房で学んでいたロレンツォ・ディ・クレディの作とされる『受胎告知』が所蔵されている。 関連: ロシアが誇る美の殿堂、エルミタージュ美術館の至宝、レオナルド・ダ・ヴィンチ初期の作品『ブノワの聖母』。 やや硬さを感じる聖母マリアの左手、幼児キリスト右脚の厳しい明暗や境界線など、レオナルドらしさが存分には感じられず、画家屈指の名作とは呼べないまでも、作品が持つ気品や慈愛に満ちた聖母の表情は、初期の作品とは思えないほど優雅かつ繊細に描かれている。 本作は名門貴族クラーキン公のコレクションからフランスの画家レオン・ブノワの手に渡り、その後、ロシア皇帝ニコライ2世が購入したことから『ブノワの聖母』と呼ばれることとなった。 また画面右上の白々とした窓の風景は未完成の為、又はレオナルド自身が塗りつぶしたなどの理由が推測されている。 レオナルド独自の技法『スフマート(ぼかし技法)』によって表現される聖母の輪郭は、暗い背景に溶け込み、慈愛に満ちた聖母の人物をより際立たせている。 聖母マリアが差し伸べた小さな花を見つめる幼児キリストの表情は幼いながらも気高さと神々しさを放ち、救世主であると同時に絶対者としての威厳に満ちている。 なお画面右上の白々とした窓の風景に関しては未完成とする説、レオナルド自身が塗りつぶしたとする説などの様々な理由が推測されている。 ルネサンス三大巨匠のひとりレオナルド・ダ・ヴィンチ未完の傑作『東方三博士の礼拝』。 本作は1482年にレオナルドがミラノへと向かった為、モノクロームの状態(未完状態)でフィレンツェに残された作品で、1621年にはその所有権がメディチ家へと移行している。 前景では画面中央に配される聖母マリアと幼子イエスを中心に、東方の三王や民衆たちが円状に囲みながら平伏すような姿で聖母子を礼拝している。 そこでは様々な人物において性格付けや行動的人間性が示されており、レオナルドの自然主義的側面が明確に表されている。 さらに後景左側には廃墟的な階段や建築物、後景右側には騎馬の一団が描き込まれており、画面内の空間構成や構図展開において類稀な革新性を見出すことができる。 さらに主題の解釈においても、当時、問題視されることになった主の御公現(エピファニア。 主イエスへの公式的礼拝)を意識させる内容が示されており、レオナルドのそれまでの伝統に捉われない挑戦的な意図が感じられる。 現在ポーランドのツァルトリスキー美術館が所蔵しているレオナルドが制作した肖像画の代表作のひとつ『白テンを抱く貴婦人の肖像』。 最初のミラノ滞在時に制作された肖像画のモデルはミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾(または同氏が結婚以前に寵愛していた)チェチリア・ガッレラーニと推定されており、背景に輝く肌の質感を透明感のある色彩で描かれた本作は、今なお色褪せることなく、完成されたレオナルドの作品として公開されている。 黒色真珠を身に着ける、ミラノ公ルドヴィーコ・イル・モーロの愛妾、チェチリア・ガッレラーニの肖像にみられる、左斜め方向を見つめる視線、微かに微笑む口元と、成熟した女性ではない、あくまで若々しい少女の表情を、卓越した観察眼で捉えた。 またチェチリア・ガッレラーニがやさしく抱いている、写実的に描かれた当時、冬の衣服として用いられていた白テンの毛皮は、本作では純潔の象徴としても解釈される。 言わずと知れたルネサンス期の天才レオナルド・ダ・ヴィンチ不朽の祭壇画『岩窟の聖母』。 このルーヴル美術館版は画面全てがレオナルドの真筆とされ、本来ならばミラノのサン・フランチェスコ・グランデ聖堂の礼拝堂を飾る作品であったが、当時、レオナルドとこの祭壇画の依頼主との間で作品の構成や報酬を巡りトラブルがあり、それを仲裁した(当時ミラノを治めていた)フランス王ルイ12世に、レオナルドが献上したとされる。 本作では聖母マリアを中心に、左に幼児の姿をした洗礼者聖ヨハネ、右部分に祝福を与える幼子イエスと、大天使ウリエルを配されているが登場人物に神的人格の象徴である光輪が描かれていない点や、大天使ウリエルが人差し指で首を斬る仕草を示している点、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの明確な区別が為されていない点(通常、洗礼者聖ヨハネにはアトリビュートである獣の衣や十字の杖などが描かれる)などから祭壇画としての役割が果たせないとして、祭壇画の依頼主から受け取りを拒否されている。 なお一部では大天使ウリエルが洗礼者聖ヨハネの守護天使であることから、洗礼者聖ヨハネが神の子イエスを祝福していると、洗礼者聖ヨハネと幼子イエスの解釈を逆とした異説が唱えられているも、確証は得ていない。 関連: が当時のフランス王ルイ12世に献上されたため、改めてサン・フランチェスコ・グランデ聖堂へ納められた作品となったのが本作『岩窟の聖母』。 本祭壇画はレオナルドが描いた最も重要な中央部分(本作部分)とその開口戸となる両脇部分から構成され、その両脇部分はデ・プレディス兄弟が担当しており、本作のやや硬質的な表現手法や明暗対比の大きい暗中の陰影表現などから、構図はとほぼ同じであるが描いたのはデ・プレディス兄弟とするのが一般的な説である。 本作ととの最も決定的な差異は登場人物にある。 幼児洗礼者聖ヨハネにアトリビュートである十字の杖と衣を加え、幼子イエスとの間に明確な区別が為されている他、大天使ウリエルを除く聖母マリア、幼子イエス、幼児洗礼者聖ヨハネには神的人格の象徴である光輪が描かれている点や、大天使ウリエルの軽やかな衣服の表現やポーズの変更など、より依頼者の望みに則した表現が用いられている。 関連: レオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』。 本作は技巧的にも、壁画で通常用いられるフレスコは使用されず、油彩とテンペラによって描かれているため、完成後まもなく遜色が始まり、それに加え食堂が馬小屋として使用されたことで湿気に晒されたことや、第二次大戦での建物全壊(奇跡的に壁画は無傷)などが重なったことによって、壁画として保存状態が悪かった期間が長かった為、もはや、この傑作を原型のまま鑑賞することはできない。 関連: 『モナ・リザ』。 レオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された、この絵画史上最も名の知れたあまりにも有名な肖像画は、レオナルド自身にとっても特に重要な作品であったと考えられており、『』、『』と共にフランソワ一世の招きにより渡ったフランスでの最晩年まで手元に置いていたことが知られている。 本作を美術史的観点から名画中の名画と言わしめるのは、一切の筆跡を残さないスフマート(ぼかし技法)による表現に他ならない。 このレオナルドによって考案された輪郭線を用いず陰影のみによって対象を表現する薄塗り技法は、同時代最大の巨匠のひとりを始めとするの技法とは決定的に異なっており、その完成には膨大な時間と手間がかかる。 当時レオナルドが滞在していたサンタ・マリア・ノヴェッラ教会の廻廊の二本の円柱が両端に描かれている(本作はその両端部分がどこかの時代に切断されたと推測される)ことが研究によって明らかになっている本作で用いられる、肖像画において斜めに対象人物を配する構図は主に初期ネーデルランド絵画で用いられていた構図であり、その後、交友のあったを始めとする数多くの画家達の肖像画制作の過程において多大な影響を与えた。 著書『美術家列伝(1550年)』の中のフランチェスコ・デ・ジョコンドの妻リーサ・ゲラルディーニ説からモナ・リザと呼称されるようになった本作の最も大きな謎のひとつであるモデルについてはジュリアーノ・デ・メディチの愛人説、コスタンツァ・ダヴァロス説、自画像説、イザベラ・デステ説、レオナルドによる極めて高度に理想化された人物像とする説など諸説挙げられるも確証を得るに至らず、依然として不明であり今なお研究と議論が続いている。 なお本作は1911年に一度盗難に遭うも2年後、フィレンツェで発見された。 なお画家と同じくルネサンス三大巨匠のひとりに挙げられる年下のは本作を残しており、このスケッチは本作の研究資料として現在も重要視されている。 論拠としてモナリザの瞳の中に両者の頭文字「L」と「S」が記されているとしている。 今後の更なる調査が期待される。 しかしルーヴルのものと比べ同作品の素材がカンバスである点など異論も数多く残されており、今後の動向が注目される。 ルネサンス三大巨匠のひとりであり、万物の天才とも呼称される画家レオナルド・ダ・ヴィンチが残した秀逸的下絵習作『聖アンナと聖母子(画稿)』。 本作は画家晩年期の最高傑作の1点と名高く、レオナルドが最後まで手放さなかったルーヴル美術館所蔵の『』に通じる、大凡10年ほど前に制作された画稿(下書き)である。 画面上部に配される聖アンナは娘である聖母マリアへ慈愛的な眼差しを、聖母マリアはその胸に抱く幼子イエスへやや憂いを帯びた眼差しを向けており、三者の関係性を視線で表している。 また神の子として降誕した幼子イエスは、同じく幼子の姿をした洗礼者聖ヨハネへ祝福の仕草を示しており、聖ヨハネは信仰深い眼差しを幼子イエスへ向けている。 来歴として少なくとも1791年には英国のロイヤル・アカデミーに所蔵されていたことが知られている本作は、レオナルドが1482年から18年間滞在したミラノを離れる最後期に手がけられた画稿であるが、その表現手法に注目しても明確な線描(トスカーナ美術の典型として知られる)と立体感と光彩を独特に誇張したキアロスクーロ(明暗法)を用いた人物描写は、画家の卓越したデッサン力をよく示すものであり、今も観る者を驚かせると同時に強い感銘を与える。 なお本作とは別に1501年フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータ修道院で公開された習作の存在が伝えられている。 関連: 完成していればレオナルドの最高傑作のひとつとして数えられていたであろう、晩年期に制作された未完の大作『聖アンナと聖母子』。 また未完とはいえ、人物の柔らかくも甘美さを併せ持つ表情や、スフマートで描かれる卓越した表現技法などから、多くの画家がこの作品を模写している。 キリストに手を差し伸べ抱き上げる聖母マリアは、新約聖書ルカ福音書では、夫となる聖ヨセフとの婚約中、大天使ガブリエルから受胎告知を受けたとされる。 五世紀前半からは神(キリスト)の母や無原罪の女性として崇敬の対象となった。 この世の終焉に現れるメシア(救世主)とされる羊と戯れる幼子キリストの名称は元来、油を塗られた者の意で、王に与えられる称号であった。 夫であるヨアヒムと20年近く連れ添いできた始めての子供で、聖母マリアの母として知られる聖アンナの我が子(マリア)と孫のキリストを見つめる表情は、聖者に相応しく穏やかさと慈しみに満ちている。 制作の詳しい経歴は不明だが、ダ・ヴィンチ最晩年の作品とされる『洗礼者聖ヨハネ』。 晩年期は失意の中フランソワ一世の招きによりローマを去り、フランスへ向かったダヴィンチが同地で描き、本作と『』、『』の三作品は生涯手元に残した。 なおモナリザを思わせる聖ヨハネの端正な顔立ちと微笑みは、ダ・ヴィンチが同性愛者だったという推測に基づき、寵愛していた弟子ジャン・ジャコモ・カプロッティ(通称サライ)をモデルにしたという説もある。 ヨルダン川でキリストの洗礼を行なった者とされる洗礼者聖ヨハネは、バプテスマのヨハネとも呼ばれ、都市生活から離別し、神の審判が迫ることを説き、人々に悔い改めの証として洗礼を施すが、ヘロデ王の娘サロメの願いにより斬首刑に処された。 また本作を始め、レオナルド作品によくみられる、この天に向け人差し指を指すポーズ。 ここでは天からの救世主キリストの到来を予告し、道を平らかにするよう悔悛を説いてると解釈されている。

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ダ・ヴィンチ・コード

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『』に次ぐ「」シリーズの第2作。 の作品である、、、の謎に始まり、多くの流説を結びつけた内容は世界的にヒットし、44言語に翻訳され7000万部の大ベストセラーとなった。 筆者が(であるとされているにもかかわらず)事実に基づいていると述べた為、多くの研究者による論争が行われている(後述のを参照)。 日本では、5月にから上下巻で刊行された(翻訳:)。 その後、で上中下巻の廉価版も発刊された。 日本国内での単行本・文庫本の合計発行部数は1000万部を突破した。 2016年には日本語版でとの朗読によるオーディオブックがデータ配信でにて配信。 2006年、映画化。 詳細は「」を参照。 また、として、、、にてゲーム化もされている。 詳細は ()を参照。 あらすじ [ ] の教授ロバート・ラングドンは講演のためのに投宿していたが、深夜、フランス司法警察中央局のジェローム・コレ警部補の訪問を受ける。 急用による同行を請われ、到着したで館長のジャック・ソニエール(76歳)が、のを模した猟奇的な形の死体で発見されたと伝えられる。 司法警察は、事件に対するラングドンの宗教象徴学者の立場での見解を聞きたいと協力を要請した。 しかし、実際はソニエール館長と会う約束をしていたラングドンを容疑者として疑い、逮捕するために呼んだのである。 ソニエール館長の孫娘でフランス警察の暗号解読官ソフィー・ヌヴーの助力により、ラングドンはその場を脱する。 ソフィーは祖父の死の状態を、自らに遺した自分にしか解けない暗号であると考え、ラングドンの潔白に確信を持つが、これを上に報告しても顧みられないと察して、ラングドンと協力するため彼の逃亡に手を貸す。 しかし、そのことによって米大使館は封鎖され、ソフィーとラングドンは、ともどもフランス司法警察に追われることになってしまう。 いっぽう、ジャック・ソニエール殺害の犯人とその黒幕らは、かつてソニエールが秘匿したとされるの秘密を追っていた。 そして、その毒牙もまたラングドンたちを狙う。 ラングドンとソフィーは、の探求に生涯を捧げる宗教史学者リー・ティービングの助力を得て、司法警察の追及をかわしイギリスへと飛ぶ。 登場人物 [ ]• :教授。 宗教象徴学の権威。 前作『天使と悪魔』の事件によって知られた存在となっている。 ジャック・ソニエールが殺害された事件がきっかけでフランス司法警察暗号解読官ソフィー・ヌヴーと出会い、自分が犯人だと疑われている事を知り、彼女と行動を共にする事になる。 :フランス司法警察暗号解読官。 カレッジ卒業。 ルーヴル美術館館長ジャック・ソニエールの孫娘。 ロバート・ラングドンが、ソニエール殺害の犯人として疑われていることをラングドンに告げ、彼と共に逃亡。 祖父の死の真相を探るべくロバート・ラングドンと行動を共にする。 ジャック・ソニエール:館長。 ソフィー・ヌヴーの祖父。 アンドレ・ヴェルネ:保管銀行パリ支店長。 ソニエールからあるものを預かっていた。 リー・ティービング:イギリスの宗教史学者。 の爵位を持っている。 の探求に生涯を捧げている。 レミー・ルガリュデ:ティービングの。 マヌエル・アリンガローサ:の代表。。 シラス:の一員にして殺し屋。 の男性。 アリンガローサ司教を慕っている。 ある人物の命を受けて聖杯の手がかりを探している。 ジョナス・フォークマン:ニューヨークの編集者。 ベズ・ファーシュ:フランス司法警察中央局警部。 ラングドンがソニエール殺害の犯人ではないかと疑い、ラングドンを追う。 ジェローム・コレ:フランス司法警察中央局警部補。 シスター・サンドリーヌ:を管理する。。 作品内に登場する観光名所 [ ]• 批判・論争 [ ] であるとされているにもかかわらず、冒頭に実在の組織名を挙げ、「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている」と述べているために、扱われている内容の真偽について議論が起きた。 例えば、冒頭に登場する は実在する組織であるが、「秘密結社」のやその「秘密儀式」は想像上のものとされている。 の教義に深く関わる部分は大きな反響を巻き起こし、2006年3月には米国カトリック司教会議 USCCB が、教義について反論するウェブサイト を開設している。 作品内でドラクロワの壁画で知られるカトリックの教会、の中にある日時計(ローズライン)に秘密を解く鍵が隠されていると記されている。 これを鵜呑みにしたメディアが押し寄せた為、教会側は入り口に「日時計はローズラインと呼ばれた事もなければ、異教徒の陣の名残でもない」という張り紙を張った。 サン・シュルピス教会は観光名所ということもあり、書かれている文字は何ヶ国語かに訳されている。 批判の一環として、特別番組「ダ・ヴィンチ・コードの嘘」が放送された。 また、「」は『大名所で原作のウソを発見! 』と題し原作で描かれている名所と実際の名所の相違点を挙げている。 また、作品の謎、カトリックにおける異説や、に関する解釈、の由来などの多くは『』からの借用であることが問題となった。 プロットの下敷にアイデアが盗用されたとして、『』の著者たちから訴えられたが、ロンドンのは原告側の訴えを退ける判決を下している。 脚注 [ ]• 角川書店の発表によると2006年5月24日現在、単行本が237万部、文庫本が770万部、計1007万部。 ジャックは殺されたとき76歳だが、の定年は65歳である。 「」『』。 2018年4月19日閲覧。 『秘密文書』なるものについては「」の項を参照のこと。 中井俊已 2006年8月5日. 『ダ・ヴィンチ・コード』はなぜ問題なのか?. グラフ社. 2006年6月1日閲覧。 参考文献 [ ]• 中井俊已著『「ダ・ヴィンチ・コード」はなぜ問題なのか? 』(グラフ社、2006年) ) 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - 英国政府観光庁.

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