夢 よ どうか 覚め ない で 君 は 願う けれど。 ニコニコ大百科: 「ゼルダの伝説 夢をみる島」について語るスレ 511番目から30個の書き込み

【初音ミク】 Crossing Daydream 【ボカロオリジナル曲】

夢 よ どうか 覚め ない で 君 は 願う けれど

ここでは自担の妊活問題などデリケートなお話盛りだくさんです。 すごい題材だね。 笑 少しでも自分が傷つきそうだと思ったら見ない選択をするなど自衛をお願いします。 さぁ、自担の妊活問題に言及しようかと。 と、いうのもいつかきっとこの話題は出てくると想定されること、 それに伴ってまたしても嫌な言葉が飛び交いそうなことが容易に頭に浮かぶからで。 あまり推敲せず発した言葉で自担を傷つける人が少しでも減ったらいいなという気持ちで書こうと思った次第であります。 二宮さん夫妻が子どもを望んでいるのかどうか、というのは本当のことは私たちには知り得ないことで。 子どもが欲しいのか欲しくないのか。 仮に望んでいたとして運命的な出会いを果たせているのか、苦労しているのか。 今日現在の段階では本人から報告はされていないわけで。 そんな状態でなぜこんな話をって思うよね。 私もそう思う。 でもね、書こうと思ってしまったんだ。 今でないとダメだと、思ってしまったんだ。 ここを読んでくれている方たちはどのくらいの年齢層なんだろうな。 想像がつかないので広い幅に向けてことばを綴っていこうと思う。 まだまだ結婚という年齢じゃない、妊娠なんて想像つかないような子たち。 ある程度結婚を視野に入れるような年齢で、妊娠が少し身近に感じられる人たち。 現在進行形で妊娠している人。 現在進行形で妊活している人。 苦労している人、うまくタイミングが合った人。 出産を経て、子育てをしている人。 子どもを作らないことを選択した人。 子どもを作ることを断念せざるを得ない人。 子育てもひと段落して、次は子どもの結婚が待っている人。 赤ちゃんができるって、ほんとに奇跡的なこと。 ことばにするとこんなに軽くて、当たり前のことに聞こえてしまうけれど。 自分の望んだタイミングで赤ちゃんが来てくれるなんて、本当に奇跡で素晴らしいことなんだよ。 自分の気持ちが、周りの環境がまだ適していなくて泣く泣くその命とお別れした人もいる。 一方で、気持ちも環境も整っているのに一向にその命と出会えない人もいる。 その度に自分を責めて、自分を呪って、自尊心が崩れていく。 何がいけないのかと身も心も削って、日々の生活をその命ひとつの為に費やす人もたくさん、いる。 何が言いたいかって、この話題って本当にデリケートな部分で。 表面上は見えない苦労、葛藤をとてつもなく抱えている人は思っているよりたくさん、たくさんいる。 それなのに、芸能人が『命を授かりました』という報告をすると決まって、身も凍るような言葉を平気で吐く人がいる。 この分野はさ、他人からの言葉が一番刺さってしまうところだと私は思っている。 自分の意思でどうにもできないんだ。 選ぶことも、掴むことも、…拒否することさえも。 今まさに、親になろうとしている羽化したばかりの弱々しい人を。 ひとつの命を守る為に必死な人を。 どんな理由があったとして傷つけていいわけがない。 けれど私は確信している。 二宮さんからこんな報告があったら絶対に、目にしたくない言葉が飛び交う世界がある。 だからこそ今のうちに、少しでも、抑止できないかと。 こんないちファンの、ちっぽけなブログで届くことばなんてひとつも無いかもしれない。 それでも、書かずにはいられなかった。 小さな小さな命が誕生するのは本当に奇跡的なことで。 この世に生まれ出てくるまでは、いや、生まれ出てきてからも一秒として気を抜けなくて。 彼からの報告があったとして、もしかしたらそれは彼が望んで望んで望んで、やっと、来てくれた命かもしれない。 そんな大切なものを、ものを、他人がどうこう。 ましてやその命の終わりを望む言葉なんて、文字にすることを許されるわけがない。 命ひとつを守っていく決意をすることが、どれだけ苦しくて、どれだけ嬉しいか。 毎日毎日苦しんで苦しんで夢にまで見てやっと、掴むことのできた幸せかもしれない。 その『命』の意味を重さを、みんなが感じ取ることができたら。 自分の好きな人は、誰かの嫌いな人かもしれない。 自分の嫌いな人は、誰かの好きな人かもしれない。 自分の『嫌い』だけで放った軽率な言葉が、誰かの命を奪うかもしれない。 なんて、ここに来てくれる方々には 話す意味もないことかもしれない。 私が知っている貴方たちは素敵な心の持ち主で、思いやりがあって、人の痛みをわかることができる人。 そんなとこまでそれぞれの自担にそっくりな、ひと。 だから本当に伝わってほしい人たちには届かないのかもしれない。 それでもこれを書くことが、…私にできる罪滅ぼしかもしれないと。 赦される方法なのではないかと。 もう、書かずにはいられなかった。 命、ってね、めちゃくちゃ、重たいよ。 私は二宮さんの遺伝子をこの世に遺して欲しい。 その子に彼のような人生を辿って欲しいという理由ではない。 あんなにも素敵な人間のひと欠片でも、後世に伝えられたら。 女の子だったら…?ちょっとおませさんで、パパも参っちゃうような台詞を口走る子になるかもしれない 男の子だったら…?言葉で周りを翻弄するような、パパに似た子になるかもしれない どちらだったとしてもきっと、そのうしろには口角を上げて優しい眼差しで見つめる、二宮さんの姿がある。 もしかしたら彼は、表には一生、『家族』というものは見せないかもしれない。 でももし仮に二宮さんに、その家族に、そんな言葉が投げつけられる未来があったとしたなら、彼は自身への暴言よりも深く深く、傷付くのではないか。 自分の大切な人を守る為に、自身を犠牲にするタイプだと私は思っているから。 心を殺して、大事な人を大切ないのちを守る為に、自身が矢面に立つことを選ぶのではないか。 それぐらい、彼の柔らかい心が抉られてしまうのではないか。 これは、二宮さんだけでなく。 彼の、彼らの未来があたたかい、 大きな大きな愛の詰まった言葉だけで包まれる日を 私は願ってやまない。 kanapara.

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#諸伏景光 #コナン夢 ヒロ君!?熱が下がるどころが上がる上がる!!

夢 よ どうか 覚め ない で 君 は 願う けれど

【我・思・君・思】霧子さんが衝撃的すぎたので、自分の中で噛み砕くためのnoteです。 まとめようにもうまい論旨を見つけられなかったのでいつにもましてぐちゃぐちゃです。 読解とか解釈というより、おおむねとっかかりにして広げた与太と妄想です。 眠い中書いてるし深く考えてもないのであまり鵜呑みにしないでね。 「何もかも本当にあるのか信じられない世界で、それを疑う私がいることだけは誰にも否定できないのではないか、がデカルトで、何もかも本当にあるのか信じられないけれど、それならば夢も現実もすべてがほんとうで、すべてが同一性のある存在であるとしても問題ない、が霧子と読みました。 」 これ、一回しか読まずに数時間後の呟きだったので、きちんと読み返してみたら微妙にずれてる気がして、ぼんやり思ったことの殴り書きします。 微妙にずれてると思ったのは「すべてが同一性のある存在としても問題ない」のあたりです。 「問題ない」というよりは「同一性のある存在であると信じている」のほうが近いのかな…この辺ニュアンス難しいな…。 霧子が規定した世界こそが世界 天天白布のコミュによると、霧子は太陽なんですよね。 太陽というのはご存知の通り太陽系の中心に位置していて、地球を含めいくつもの惑星が太陽の周りを回っていて。 今回のコミュにおいても、デカルトでいうところの疑いようのない唯一の存在である主観としての「私」は霧子にあって、霧子の周りをただようすべて、咲耶やみんなや夏は「この」がつけて語られる。 この、というのはいくつかある存在の中から断定するために必要な言葉で、霧子は同一でない咲耶さんや同一でないみんながいることもたぶん理解している。 それでも咲耶は「また会おう…すぐに」というし、霧子も「この咲耶さんに」おはようをするという。 「この」という指示語は話し手に近い物事を指すときに使われる言葉だ。 この、は自分の範囲のもののときに使われて、その、は相手側の領域にあるものごとを指す。 つまり「この咲耶さん」は霧子の範囲にある咲耶さんで、霧子の主観における咲耶さんになる。 主観において、久しぶりに会った友達が果たして本当に過去の友達から地続きの存在であるのか、一貫性を持っているのかは誰にも計り知ることができない。 スワンプマンやテセウスの船みたいな形で入れ替わっているかもしれないし、そもそも夢の中に友達が出てきたとして、起きているときの相手が別の人であると思うのが普通だ。 でも霧子は眠るのか起きるのか、とにかくいまと異なる世界に向かうにもかかわらず、その先にいる咲耶や、みんなや、世界全体の同一性を認めた。 次の世界でも変わらない「この」咲耶におはようを告げると言った。 それは到底不可能なことのように思えるけれど、世界の中心である霧子がそれを担保する限り、霧子の世界においてそれは保たれるのかもしれない。 霧子はハルヒなんですよ!とか言いたくなる。 そんなことはない。 我思う、ゆえに我あり。 君思う、ゆえに君あり。 君思う、が「私が君を思うから君がある」なのか「私が思うから私があるように、君自身が思うから君がある」のか微妙なところだな…と思っている。 個人的にはどこまでも霧子の主観の話だと思っているので前者だと嬉しいな。 おやすみ、デカルトさん 「私」以外をすべて疑ったデカルトを、霧子は「不思議な人」だと言った。 そう思うと、霧子は「すべてを疑わない」人なのかもしれない。 目の前にある「ここ」が霧子にとっての世界で、それが夢だろうと現実だろうと幻だろうと走馬灯だろうと、その異なるいくつもの目の前の世界に同一性があろうとなかろうと、いまいる「ここ」が世界。 それを疑わない。 だから「ここ」が夢だろうと現実だろうと、どうでもいい。 霧子が願うのは、「みんながみんなでいてくれること」「この夏がこの夏であること」だけ。 その担保がめちゃくちゃ難しいんですけど、この世界は霧子の主観なので、霧子がそうだとするならばすべてそうなので問題ないんでしょう。 デカルトに「私以外の存在は証明できない!」って言われても「目の前にあること」を肯定する霧子にはあんまり響かない。 だからデカルトさんも一緒に寝ましょう、という。 そうしてデカルトも霧子の世界の一部になる。 霧子の世界では過去の人物も今の人物も未来の人物も関係がなく、きっと等しく、「ここ」にいる人なのだ。 まあでも、色々書いてきたのですが、このコミュシンプルに「夢でも現実でもみんなといられれば嬉しいよ」って愛の話なんだと思います。

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夢 よ どうか 覚め ない で 君 は 願う けれど

【我・思・君・思】霧子さんが衝撃的すぎたので、自分の中で噛み砕くためのnoteです。 まとめようにもうまい論旨を見つけられなかったのでいつにもましてぐちゃぐちゃです。 読解とか解釈というより、おおむねとっかかりにして広げた与太と妄想です。 眠い中書いてるし深く考えてもないのであまり鵜呑みにしないでね。 「何もかも本当にあるのか信じられない世界で、それを疑う私がいることだけは誰にも否定できないのではないか、がデカルトで、何もかも本当にあるのか信じられないけれど、それならば夢も現実もすべてがほんとうで、すべてが同一性のある存在であるとしても問題ない、が霧子と読みました。 」 これ、一回しか読まずに数時間後の呟きだったので、きちんと読み返してみたら微妙にずれてる気がして、ぼんやり思ったことの殴り書きします。 微妙にずれてると思ったのは「すべてが同一性のある存在としても問題ない」のあたりです。 「問題ない」というよりは「同一性のある存在であると信じている」のほうが近いのかな…この辺ニュアンス難しいな…。 霧子が規定した世界こそが世界 天天白布のコミュによると、霧子は太陽なんですよね。 太陽というのはご存知の通り太陽系の中心に位置していて、地球を含めいくつもの惑星が太陽の周りを回っていて。 今回のコミュにおいても、デカルトでいうところの疑いようのない唯一の存在である主観としての「私」は霧子にあって、霧子の周りをただようすべて、咲耶やみんなや夏は「この」がつけて語られる。 この、というのはいくつかある存在の中から断定するために必要な言葉で、霧子は同一でない咲耶さんや同一でないみんながいることもたぶん理解している。 それでも咲耶は「また会おう…すぐに」というし、霧子も「この咲耶さんに」おはようをするという。 「この」という指示語は話し手に近い物事を指すときに使われる言葉だ。 この、は自分の範囲のもののときに使われて、その、は相手側の領域にあるものごとを指す。 つまり「この咲耶さん」は霧子の範囲にある咲耶さんで、霧子の主観における咲耶さんになる。 主観において、久しぶりに会った友達が果たして本当に過去の友達から地続きの存在であるのか、一貫性を持っているのかは誰にも計り知ることができない。 スワンプマンやテセウスの船みたいな形で入れ替わっているかもしれないし、そもそも夢の中に友達が出てきたとして、起きているときの相手が別の人であると思うのが普通だ。 でも霧子は眠るのか起きるのか、とにかくいまと異なる世界に向かうにもかかわらず、その先にいる咲耶や、みんなや、世界全体の同一性を認めた。 次の世界でも変わらない「この」咲耶におはようを告げると言った。 それは到底不可能なことのように思えるけれど、世界の中心である霧子がそれを担保する限り、霧子の世界においてそれは保たれるのかもしれない。 霧子はハルヒなんですよ!とか言いたくなる。 そんなことはない。 我思う、ゆえに我あり。 君思う、ゆえに君あり。 君思う、が「私が君を思うから君がある」なのか「私が思うから私があるように、君自身が思うから君がある」のか微妙なところだな…と思っている。 個人的にはどこまでも霧子の主観の話だと思っているので前者だと嬉しいな。 おやすみ、デカルトさん 「私」以外をすべて疑ったデカルトを、霧子は「不思議な人」だと言った。 そう思うと、霧子は「すべてを疑わない」人なのかもしれない。 目の前にある「ここ」が霧子にとっての世界で、それが夢だろうと現実だろうと幻だろうと走馬灯だろうと、その異なるいくつもの目の前の世界に同一性があろうとなかろうと、いまいる「ここ」が世界。 それを疑わない。 だから「ここ」が夢だろうと現実だろうと、どうでもいい。 霧子が願うのは、「みんながみんなでいてくれること」「この夏がこの夏であること」だけ。 その担保がめちゃくちゃ難しいんですけど、この世界は霧子の主観なので、霧子がそうだとするならばすべてそうなので問題ないんでしょう。 デカルトに「私以外の存在は証明できない!」って言われても「目の前にあること」を肯定する霧子にはあんまり響かない。 だからデカルトさんも一緒に寝ましょう、という。 そうしてデカルトも霧子の世界の一部になる。 霧子の世界では過去の人物も今の人物も未来の人物も関係がなく、きっと等しく、「ここ」にいる人なのだ。 まあでも、色々書いてきたのですが、このコミュシンプルに「夢でも現実でもみんなといられれば嬉しいよ」って愛の話なんだと思います。

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