うめ ざわ あゆ か。 うめざわ内科クリニック(立山町)

梅沢富美男

うめ ざわ あゆ か

圧倒的な成績アップ! 大目標は 『圧倒的な成績アップ』です。 うめざわ塾では、大切なお子様をお預かりする以上、 全身全霊を賭けて成績アップを目指します。 そのために必要な勉強を、塾でしてもらいます。 『出来るまでやる』を合言葉に、必要であればいつもの通塾日以外に補習や再テストを実施します。 そして定期テスト前には 『爆上げ特訓!』で徹底的にテスト範囲を反復し、 過去最高点をもぎ取ります。 安易に『お子様のペース』に合わせません! うめざわ塾は、安易に『お子様のペース』に合わせません。 そもそも『ペースに合わせる』とは勉強したい時はするけどしたくない時はしない、という事でしょうか。 お父さまお母さまなら分かって頂けるはずです。 決してそうではないし、 そんな事では絶対に成績は上がりません。 当然、勉強の理解度は人によってさまざまです。 ですが『いつまでに、何を出来るようにするべきか』は変わりません。 成績アップのために、お子様それぞれにとって 必要な勉強を、必要な分だけやってもらいます。 それらを 『出来るまでやり抜く』事が真に『お子様のペースに合わせる』事ではないでしょうか。 勉強は将来を豊かにする! なぜここまで成績アップにこだわるのか。 勉強は将来を豊かにすると信じているからです。 単に高学歴=豊か、という意味ではありません。 勉強とは人の考えを学ぶ事です。 人の考えを学べば、価値観が変わります。 物の見方が変わります。 今まで気付かなかった事に気付き、思いもしなかった事を考えるようになります。 すると、どうでしょう。 見える世界が変わるのです。 環境が変わるのです。 今よりももっとキラキラした世界に変わるのです。 そして何より、勉強を通して身に付けた 自信が、あなたのお子様を もっともっとキラキラさせてくれるのです。 塾生たちがもっと輝くために、圧倒的な成績アップを! さぁ、まずは目の前の問題に打ち込みましょう。 それがキラキラした世界への第一歩です。 うめざわ塾は、 塾生たちがもっと輝くために圧倒的な成績アップを実現する塾です。

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うめ ざわ あゆ か

前口上のようなものから始めたい。 だって、それほど知らないでしょ、うめざわしゅんのことを。 うめざわしゅんは1998年、『ヤングサンデー』誌増刊掲載の「ジェラシー」でデビュー。 その後、ヤンサンに連載した短篇連作をまとめた(2006年刊行)が漫画ファンに注目される。 藤子・F・不二雄が「すこし・ふしぎ」と自称した異色短篇を引き合いに語られたり、テレビのショートドラマとして映像化されたり、アイデアの効いた短篇の名手の登場と認識されることも多かった。 しかし、その後のうめざわしゅんは、頻繁に作品を発表することはなく、見かけることがなくなってしまった。 そして2010年から『月刊!スピリッツ』誌に連載されたで再会した。 この連作がまた問題作で、『ユートピアズ』で見せた、アイデアに重きを置いた短篇ではなく、生きづらい人々のいる風景のあれこれを、淡々と力強く描いたものだった。 自分の耳が悪かったのか、この時に「あの『ユートピアズ』描いてた作家がさ、なんかちょっとヤバい漫画で帰って来たぞ」という喧伝が、全然聴こえなかったことは、それこそ、すこし・ふしぎ、だった。 そして、単行本未収録作品集のの刊行の話である。 実はうめざわしゅんには、他にも雑誌に発表された短篇作品があり、それらが人知れず蓄積していたことを知った編集氏が、本にまとめようと動き始めたのだ。 その内容を見せてもらい、うぬぬと唸ってしまった。 ほとんど初見の短篇ばかり。 描かれた時期の間隔のせいか、バラエティに富んでいる。 むせるような人間臭さと仄かなファンタジーが同居している。 全ての作品を通して、意地悪な笑いに包まれている。 台詞についても絵についても実が詰まっていて、漫画読者としては、まるで滋養が流れ込んでくるような読み心地。 一気にまいってしまった。 こんな漫画を知らなかったなんて、勉強不足だ。 こんなにも知らなかったのだ、うめざわしゅんのことを。 通して読んでみて、本当に不勉強だったなっていうのがありまして。 『ユートピアズ』が刊行された時に、小学館でインタビューさせていただいたんですよね。 で、当時の編集長の森山裕之さんも作品に感動して着いて来た。 QuickJapanで連載をお願いしたいっていう話もあって、噂は聞いていたんです。 「ちょっと調子悪いみたい」って話とか。 うめざわ そうなんですよ。 あったんですけど、当時心身ともに大分不調でして。 その後も1年以上活動していなかったんですけどね。 結局、『世にも奇妙な物語』でドラマ化されたりして、僕自身がショートショート作家の印象を持ったまま、うめざわさんについての情報を得ることが無くなってしまって。 で、近年の「月刊!スピリッツ」を読み、「あの、気になったほうの感覚で、また描きはじめたんだな」って思って。 うめざわ 「青春」的なものっていうようなことですかね。 うめざわ ちょっと作り方を意識的に変えたっていうのはありますね。 筒井康隆を思わせるようなショートショートの一環でしょうか。 うめざわ 当時好きだった新井英樹さんの、あと、学校でいろいろ起こっている、山本直樹さんの短編、まあ、こんな漫画が好きなんで、パクって描きましたぐらいの感じではあるんですけどね。 まだ学生やってたのもあるし、気楽に描いてたと思います。 あと僕はよく四コマを描いて、ギャグ漫画の賞に応募して賞金稼ぎをするということをやってたんですね。 完全に学生気分で、アルバイト代わりに、賞に送ったほうがコストパフォーマンスがいいんで。 ちょっとのページでいっぱいお金がもらえる。 でも、しばらくして「ヤンジャンでやろう」と決めて、学校卒業したぐらいからヤンジャン一本だけでやってたと思います。 サブカルチャー雑誌でコラムなど書いていると、どうしても影響などを引き出さなきゃいけない使命感があって、以前のインタビューもそれが辛くて、あまり聞きたくないなと思っていたんだけど、うめざわさんも何にも教えてくれないという、凄く謎な感じのまま、僕の主観で終わってる。 うめざわ 打てば響かない感じで。 絵を描く上での苦戦みたいのも見える。 登場人物の名前の取り方だとか、音楽からの引用だとか、とにかく『ユートピアズ』では読み取れなかったですね。 うめざわ 出さないようにしていたので。 うめざわ それはレイ・ブラッドベリの短編のもじりなんですけど。 割と甘酸っぱい感じで。 夏休みを繰り返すのはなんか……的な。 特殊というか本筋なのかな。 うめざわ 一番力を入れたという意味ではそうだと思います。 元ネタですが、スタインベックのの主人公のジョージとレニーのキャラクターを、三上とひろしにコピーしました。 これをやった時に、自信はあったんですよ。 ヤンジャン本誌に載せてくれるっていうのもあって、頑張って描いたんですけど。 ただ、アンケートを見たらドベでですね……。 やる気なくなっちゃって。 これじゃダメじゃんと思って、方向転換をしたようなところはありますね。 「未来世紀シブーヤ(原題:「失われた時を求めて」)は、ヤンジャンで描いてボツったら、ビジネスジャンプが載せてくれて。 うめざわ 『ユートピアズ』っぽい感じですね。 全人間の普遍性に ようやく辿り着いた うめざわ まだそんなに描ける調子ではなかったんですけど、お金も無かったので、何とか無理矢理描いて。 でもやっぱりダメだということで、またパタンと描かなくなって。 直後の「ドープ」(『ビッグコミックスピリッツ』掲載、今回は未収録)はちょっとアガってきた頃なんですが、絵も荒れちゃって何だかなあ、という感じでした。 でもそこから『月刊!スピリッツ』でを描かせてもらい、不定期とはいえ連載をやれるまで戻ってきたんで、少しは回復したかと。 手探りで迷ってる感じはありましたね。 今回の本に収録された「唯一者たち」は、その最終話として描いたものです。 単行本の2巻が出たところで、個人的な理由で漫画から離れてしまったので、掲載まで間が空いてしまったんですが。 うめざわ 僕の感覚では、「唯一者たち」を描けたことで、やっと抜け出せた感はあるんですよ。 『一匹と九十九匹と』というタイトルは、ルカの福音書にある言葉で、福田恆存が戦後すぐに書いた論文のタイトルからとりました。 政治が救えるのは百匹のうち九十九匹だけれど、救いきれない一匹が残る。 それを救うのが文学なり芸術なりの仕事なんだ、という話なんです。 ただ、この救われなきゃいけない一匹っていうのを、社会的なはみだし者って解釈している人が結構いるんですが、論文を読むとそうでもなくて、誰の中にでもある自分だけが生きて死んでゆく一匹を救わなければいけないという内容だったんですね。 だからこの漫画を1、2巻と描いてみて、特殊な人の特殊な話で終わっちゃったなって思ってたんですよ。 で、「唯一者たち」を描いたときに、迷っていてなかなかできなかった、全人間に共通する普遍的なところに、ようやく辿り着けたという話ではあるんです。 格段に可愛くなってますよね。 うめざわ ああ、女のコを描くのホントに苦手なんで。 うめざわ 「萌え絵」の研究とかもしたんです。 主人公のロリコン男の言うことを、爽やかに肯定するあたり。 うめざわ ロリコンの犯罪者という物語の暗さと、対比させる存在がいいんじゃないかと思って。 うめざわ 僕自身の経験ではないですが、「自分だけが一匹で、他の人は九十九匹なんだ」という認識の主人公が、「自分にとってはモブだった人たちそれぞれが一匹(唯一者)だったんだ」と認識したってことなんですよね。 うめざわ そうなんですよ。 だからこれが最終話なんです。 単行本を2巻まで読んでいただいた方には、是非これだけでも読んでもらいたいです。 こんなもの無ければいいのに、と思いながら逃れられない感じ。 うめざわ 僕自身、あまり意識はしていないけど投影されてるかもしれません。 「性」だけでなく「生」だけでめんどくさいってところがあるんで。 それに関連することか、つらい話のなかに、いつも笑いの要素を入れようとしていますよね。 うめざわ それは一生懸命入れようとしています。 うめざわ それは僕もそう思っていて、いつもちゃんとユーモアを入れないといけないなというのはあります。 ユーモアやギャグを入れられないってのは、あまり客観的に距離が取れていないってことなので、意識的にそういう視点は持っていきたいなと思っています。 のエピソードでは、それに失敗したなと思っていて。 あれはユーモアが入る余地なかった。 ラストシーンにしてみてもよく考えてみると……。 うめざわ どんな極限状態でも必ず笑いはね。 うめざわ ああ、あの頃はあたりを観たんだったかなあ。 『うつせみ』にしてみても、あんな変なギャグ映画みたいなのに、紹介すると「真のラブストーリー」みたいにならざるを得ないんですよね。 どんなサスペンスかと思ったらコメディ要素が多かったり。 「そういうことなんだよ」って思わされることが多い。 うめざわ そうなんですよね。 過剰で笑ってしまう。 ただ、キム・ギドクに関しては、笑わせようと思ってるのかは、微妙な気がしますけど。 天然なんじゃないかって。 うめざわ 描きおろしの話をいただいて、どうしようかな、やりたくないな、と思ったんですが、でも三上とひろし(「パンティストッキングのような空」の主人公コンビ)のキャラクターが気に入っていたんで、描いたのが12年前だから、12年後はどうなってるかな、ってことなら描けるんじゃないかなーと描いてみたら、ちょっと長くなっちゃって。 うめざわ まあ、太田出版で描きおろしでっていうのなら、自由に描いて大丈夫かな、ってのはありましたね。 ただ政治的にどうのとかいうのは、割と後付けみたいなところです。 ひろしの方をフィーチャーしたいと考えた時、まずセックスさせてあげたいなというのと、テポドンを落としてあげたいなという、12年前の願いを叶えてあげたいというのがあって、話を創っていったら、後付けで右翼団体とかも絡んできたということで。 うめざわ そういう人はいるってことですから。 うめざわ 騒いでもらうくらいの方がね。 短篇漫画というのは、どうも軽んじられている気がします。 短篇だと書店に長く置けないとか、売れないとか、変な風評もある。 作家が描かなくなったら本にまとまらず、その後読まれることはない。 描き続けても、ある程度数がたまらないと本にはならない。 そういう状況で、読み続けられる短篇を残すことは、本当に大切なことだと思います。

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あゆの里 矢沢のヤナ那珂川最大規模の大ヤナ【公式】

うめ ざわ あゆ か

前口上のようなものから始めたい。 だって、それほど知らないでしょ、うめざわしゅんのことを。 うめざわしゅんは1998年、『ヤングサンデー』誌増刊掲載の「ジェラシー」でデビュー。 その後、ヤンサンに連載した短篇連作をまとめた(2006年刊行)が漫画ファンに注目される。 藤子・F・不二雄が「すこし・ふしぎ」と自称した異色短篇を引き合いに語られたり、テレビのショートドラマとして映像化されたり、アイデアの効いた短篇の名手の登場と認識されることも多かった。 しかし、その後のうめざわしゅんは、頻繁に作品を発表することはなく、見かけることがなくなってしまった。 そして2010年から『月刊!スピリッツ』誌に連載されたで再会した。 この連作がまた問題作で、『ユートピアズ』で見せた、アイデアに重きを置いた短篇ではなく、生きづらい人々のいる風景のあれこれを、淡々と力強く描いたものだった。 自分の耳が悪かったのか、この時に「あの『ユートピアズ』描いてた作家がさ、なんかちょっとヤバい漫画で帰って来たぞ」という喧伝が、全然聴こえなかったことは、それこそ、すこし・ふしぎ、だった。 そして、単行本未収録作品集のの刊行の話である。 実はうめざわしゅんには、他にも雑誌に発表された短篇作品があり、それらが人知れず蓄積していたことを知った編集氏が、本にまとめようと動き始めたのだ。 その内容を見せてもらい、うぬぬと唸ってしまった。 ほとんど初見の短篇ばかり。 描かれた時期の間隔のせいか、バラエティに富んでいる。 むせるような人間臭さと仄かなファンタジーが同居している。 全ての作品を通して、意地悪な笑いに包まれている。 台詞についても絵についても実が詰まっていて、漫画読者としては、まるで滋養が流れ込んでくるような読み心地。 一気にまいってしまった。 こんな漫画を知らなかったなんて、勉強不足だ。 こんなにも知らなかったのだ、うめざわしゅんのことを。 通して読んでみて、本当に不勉強だったなっていうのがありまして。 『ユートピアズ』が刊行された時に、小学館でインタビューさせていただいたんですよね。 で、当時の編集長の森山裕之さんも作品に感動して着いて来た。 QuickJapanで連載をお願いしたいっていう話もあって、噂は聞いていたんです。 「ちょっと調子悪いみたい」って話とか。 うめざわ そうなんですよ。 あったんですけど、当時心身ともに大分不調でして。 その後も1年以上活動していなかったんですけどね。 結局、『世にも奇妙な物語』でドラマ化されたりして、僕自身がショートショート作家の印象を持ったまま、うめざわさんについての情報を得ることが無くなってしまって。 で、近年の「月刊!スピリッツ」を読み、「あの、気になったほうの感覚で、また描きはじめたんだな」って思って。 うめざわ 「青春」的なものっていうようなことですかね。 うめざわ ちょっと作り方を意識的に変えたっていうのはありますね。 筒井康隆を思わせるようなショートショートの一環でしょうか。 うめざわ 当時好きだった新井英樹さんの、あと、学校でいろいろ起こっている、山本直樹さんの短編、まあ、こんな漫画が好きなんで、パクって描きましたぐらいの感じではあるんですけどね。 まだ学生やってたのもあるし、気楽に描いてたと思います。 あと僕はよく四コマを描いて、ギャグ漫画の賞に応募して賞金稼ぎをするということをやってたんですね。 完全に学生気分で、アルバイト代わりに、賞に送ったほうがコストパフォーマンスがいいんで。 ちょっとのページでいっぱいお金がもらえる。 でも、しばらくして「ヤンジャンでやろう」と決めて、学校卒業したぐらいからヤンジャン一本だけでやってたと思います。 サブカルチャー雑誌でコラムなど書いていると、どうしても影響などを引き出さなきゃいけない使命感があって、以前のインタビューもそれが辛くて、あまり聞きたくないなと思っていたんだけど、うめざわさんも何にも教えてくれないという、凄く謎な感じのまま、僕の主観で終わってる。 うめざわ 打てば響かない感じで。 絵を描く上での苦戦みたいのも見える。 登場人物の名前の取り方だとか、音楽からの引用だとか、とにかく『ユートピアズ』では読み取れなかったですね。 うめざわ 出さないようにしていたので。 うめざわ それはレイ・ブラッドベリの短編のもじりなんですけど。 割と甘酸っぱい感じで。 夏休みを繰り返すのはなんか……的な。 特殊というか本筋なのかな。 うめざわ 一番力を入れたという意味ではそうだと思います。 元ネタですが、スタインベックのの主人公のジョージとレニーのキャラクターを、三上とひろしにコピーしました。 これをやった時に、自信はあったんですよ。 ヤンジャン本誌に載せてくれるっていうのもあって、頑張って描いたんですけど。 ただ、アンケートを見たらドベでですね……。 やる気なくなっちゃって。 これじゃダメじゃんと思って、方向転換をしたようなところはありますね。 「未来世紀シブーヤ(原題:「失われた時を求めて」)は、ヤンジャンで描いてボツったら、ビジネスジャンプが載せてくれて。 うめざわ 『ユートピアズ』っぽい感じですね。 全人間の普遍性に ようやく辿り着いた うめざわ まだそんなに描ける調子ではなかったんですけど、お金も無かったので、何とか無理矢理描いて。 でもやっぱりダメだということで、またパタンと描かなくなって。 直後の「ドープ」(『ビッグコミックスピリッツ』掲載、今回は未収録)はちょっとアガってきた頃なんですが、絵も荒れちゃって何だかなあ、という感じでした。 でもそこから『月刊!スピリッツ』でを描かせてもらい、不定期とはいえ連載をやれるまで戻ってきたんで、少しは回復したかと。 手探りで迷ってる感じはありましたね。 今回の本に収録された「唯一者たち」は、その最終話として描いたものです。 単行本の2巻が出たところで、個人的な理由で漫画から離れてしまったので、掲載まで間が空いてしまったんですが。 うめざわ 僕の感覚では、「唯一者たち」を描けたことで、やっと抜け出せた感はあるんですよ。 『一匹と九十九匹と』というタイトルは、ルカの福音書にある言葉で、福田恆存が戦後すぐに書いた論文のタイトルからとりました。 政治が救えるのは百匹のうち九十九匹だけれど、救いきれない一匹が残る。 それを救うのが文学なり芸術なりの仕事なんだ、という話なんです。 ただ、この救われなきゃいけない一匹っていうのを、社会的なはみだし者って解釈している人が結構いるんですが、論文を読むとそうでもなくて、誰の中にでもある自分だけが生きて死んでゆく一匹を救わなければいけないという内容だったんですね。 だからこの漫画を1、2巻と描いてみて、特殊な人の特殊な話で終わっちゃったなって思ってたんですよ。 で、「唯一者たち」を描いたときに、迷っていてなかなかできなかった、全人間に共通する普遍的なところに、ようやく辿り着けたという話ではあるんです。 格段に可愛くなってますよね。 うめざわ ああ、女のコを描くのホントに苦手なんで。 うめざわ 「萌え絵」の研究とかもしたんです。 主人公のロリコン男の言うことを、爽やかに肯定するあたり。 うめざわ ロリコンの犯罪者という物語の暗さと、対比させる存在がいいんじゃないかと思って。 うめざわ 僕自身の経験ではないですが、「自分だけが一匹で、他の人は九十九匹なんだ」という認識の主人公が、「自分にとってはモブだった人たちそれぞれが一匹(唯一者)だったんだ」と認識したってことなんですよね。 うめざわ そうなんですよ。 だからこれが最終話なんです。 単行本を2巻まで読んでいただいた方には、是非これだけでも読んでもらいたいです。 こんなもの無ければいいのに、と思いながら逃れられない感じ。 うめざわ 僕自身、あまり意識はしていないけど投影されてるかもしれません。 「性」だけでなく「生」だけでめんどくさいってところがあるんで。 それに関連することか、つらい話のなかに、いつも笑いの要素を入れようとしていますよね。 うめざわ それは一生懸命入れようとしています。 うめざわ それは僕もそう思っていて、いつもちゃんとユーモアを入れないといけないなというのはあります。 ユーモアやギャグを入れられないってのは、あまり客観的に距離が取れていないってことなので、意識的にそういう視点は持っていきたいなと思っています。 のエピソードでは、それに失敗したなと思っていて。 あれはユーモアが入る余地なかった。 ラストシーンにしてみてもよく考えてみると……。 うめざわ どんな極限状態でも必ず笑いはね。 うめざわ ああ、あの頃はあたりを観たんだったかなあ。 『うつせみ』にしてみても、あんな変なギャグ映画みたいなのに、紹介すると「真のラブストーリー」みたいにならざるを得ないんですよね。 どんなサスペンスかと思ったらコメディ要素が多かったり。 「そういうことなんだよ」って思わされることが多い。 うめざわ そうなんですよね。 過剰で笑ってしまう。 ただ、キム・ギドクに関しては、笑わせようと思ってるのかは、微妙な気がしますけど。 天然なんじゃないかって。 うめざわ 描きおろしの話をいただいて、どうしようかな、やりたくないな、と思ったんですが、でも三上とひろし(「パンティストッキングのような空」の主人公コンビ)のキャラクターが気に入っていたんで、描いたのが12年前だから、12年後はどうなってるかな、ってことなら描けるんじゃないかなーと描いてみたら、ちょっと長くなっちゃって。 うめざわ まあ、太田出版で描きおろしでっていうのなら、自由に描いて大丈夫かな、ってのはありましたね。 ただ政治的にどうのとかいうのは、割と後付けみたいなところです。 ひろしの方をフィーチャーしたいと考えた時、まずセックスさせてあげたいなというのと、テポドンを落としてあげたいなという、12年前の願いを叶えてあげたいというのがあって、話を創っていったら、後付けで右翼団体とかも絡んできたということで。 うめざわ そういう人はいるってことですから。 うめざわ 騒いでもらうくらいの方がね。 短篇漫画というのは、どうも軽んじられている気がします。 短篇だと書店に長く置けないとか、売れないとか、変な風評もある。 作家が描かなくなったら本にまとまらず、その後読まれることはない。 描き続けても、ある程度数がたまらないと本にはならない。 そういう状況で、読み続けられる短篇を残すことは、本当に大切なことだと思います。

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