ドラキュラ モデル。 ヴラド・ツェペシュ

根強い人気の「吸血鬼ドラキュラ」の正体は何か?

ドラキュラ モデル

こんにちは!世界半周中で現在はルーマニア旅行中ののぶよです。 世界半周については ルーマニアと聞いて、多くの人がイメージするのが 吸血鬼ドラキュラ。 そんな吸血鬼ドラキュラのモデルとなったお城が、ルーマニアに残っています。 その名も 「 ブラン城」。 今回はブラン城へのアクセスの拠点となるブラショフからの行き方はもちろん、ブラン城を通して考える 吸血鬼ドラキュラ伝説の真実をお伝えしたいと思います。 吸血鬼ドラキュラ伝説の嘘と真実 実在した、吸血鬼ドラキュラ アイルランド人の作家、ブラム・ストーカー著の小説、「ドラキュラ」。 そのモデルとされているのが、 ワラキア公ヴラド3世です。 14世紀に建国されたワラキア公国は、現在のルーマニア南西部にあった小国でした。 当時の超大国であるオスマン帝国 現在のトルコ に朝貢することで、大国の属国としての地位を守り抜いてきたのです。 ある時、ヴラド3世はオスマン帝国が朝貢の額を引き上げたことに激怒。 オスマン帝国からの使徒を捕虜とした挙句殺害してしまいます。 その殺害方法が、 生きたまま串刺しにしてさらすという残虐なものだったことから、いつしか彼は 「ヴラド・ツェペシュ 串刺し公 」と呼ばれ恐れられるようになります。 その後、小国の裏切りを許さないオスマン帝国が進軍してきた際、串刺しにされて放置された仲間の死体を目の当たりにすることに。 オスマン帝国軍の兵士は士気を失い、ワラキアから撤退。 結果的にヴラドは小国ワラキアを守りぬいたことになります。 こんななんとも恐ろしい話が、伝説ではなく史実として残っているのがルーマニアのすごいところ。 1431年にトランシルヴァニア地方の シギショアラで生まれたヴラド3世。 その生家は現在も残っており、彼の子孫がレストランに改装・営業しています。 「吸血鬼ドラキュラの城」として有名な ブラン城は、ワラキア地方ではなくトランシルヴァニア地方にあります。 というわけで、ブラン城は全くといっていいほど吸血鬼ドラキュラと無関係! ブラン城が主張しているのが、 「ヴラド3世がブラン城に 数日間滞在したことがある」というもの。 そもそもルーマニアには同じような主張をしているなんちゃってドラキュラ城やなんちゃってドラキュラレストラン、なんちゃってドラキュラホテルが蔓延しています 笑 たった数日間の滞在で「ドラキュラ城」の名誉を賜れるなら、もうルーマニア自体が「ドラキュラの国」となってしまいます。 あながち間違ってはいない ひと言で言うと、 ブラン城はただのフェイク。 数多あるなんちゃってドラキュラ城のうちの一つでしかありません。 その時の印象は忘れることがないでしょう。 何もない。 本当に普通の城です。 むしろ普通の城の方がいろいろな飾りや歴史を感じさせる展示があるというもの。 それもそのはず。 20世紀に入ってブラン城を譲り受けたマリア王妃という人の手によって、かろうじて残っていたであろう中世の雰囲気の内装は、彼女の趣味に合わせて改装されてしまったからです。 それもかなりのプリンセス系に 笑 その後のルーマニア共産主義時代には政府の所有物となったり、共産主義時代終了後には再びマリア王妃の子孫の手に渡ったりと所有者がコロコロと変わったブラン城。 そんなどさくさに紛れて、城に残っていた貴重なコレクションなどの多くは売られてしまいました。 というわけで、おわかりいただけたでしょうか。 敷地はかなり狭い。 城の中に何もないブラン城に唯一あるのは、 恐ろしいほどの観光客の数。 ただでさえ狭い敷地に建つブラン城。 内部もかなり狭く、こぢんまりとしたいくつかの部屋を、人一人通るのがやっとな通路や階段がつないでいます。 こういった場合に起こるのが、 人による渋滞。 ゆっくりと見学することはほぼできませんし、写真を撮ろうと立ち止まるのも気が引けてしまいます。 ルーマニアの物価を考えると正気の沙汰ではありません。 そしてそんな場所に5年の時を経て再び足を運んだのぶよも、正気の沙汰ではありません 笑 ブラショフからブラン城へのアクセスはバスのみ ブラショフの町にはいくつかアウトガラ バスステーション があって、旅行者にはわかりにくいです。 ブラン方面へのバスは、旧市街や鉄道駅から離れた アウトガラ 2 ドイ を発着します。 ブラショフ旧市街からは徒歩で20分ほど。 路線バスを使う場合は、旧市街入口のLivada Posteiというバス乗り場から 16番のバスで10分ほどです。 バス会社はCODREANUという会社で、 MOECIU de JOS行きのバスがブラン城のすぐそばのブラン Bran の町を経由します。 平日は 30分~1時間に1本運行されています。 のぶよがおすすめするルシュノフ城塞があるルシュノフ Rasnov の町へのアクセスもこのバスです。 バスに乗ってトランシルヴァニア地方の田舎道を進むほど1時間弱で、ブランの町へ到着します。 正直この車窓からの景色の方が、見ごたえがあるかもしれません。 笑 ブラン城へ到着。 恐ろしいほどの観光地だった。 普通の小さな町であるブラン村のメインストリート。 そのほとんどは観光客向けのお土産屋やレストランです。 そしてバスを降りるとすぐに目に入るブラン城。 ちょうど雲がでてきて影のようになっているその雰囲気はなんだか禍々しいです。 さすが、 なんちゃって ドラキュラ城。 なにも知らない観光客たちが意気揚々とチケットを購入して入城していくのを横目に、城のまわりを散策します。 もしかするとルーマニアで一番の観光地かもしれないブラン城。 町の規模に対しての お土産屋の数が尋常ではありません。 ヴラド・ツェペシュのイラスト入りのTシャツなども売られていました。 ちょっとほしいかも。 城を正面から見学したいなら、おすすめは 町はずれの川沿い。 木々が邪魔ではあるものの、ブラン城の堂々たるたたずまいを見ることができます。 そんな感じで、城以外にはなにもないブランの村。 拍子抜けした印象を持ったあなたは大正解です。

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【ルーマニア】ブラン城「ドラキュラ城のモデルになった、ミステリアスな古城」

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「ドラキュラ伯爵」はキャラクター名 今や 吸血鬼の代名詞となった ドラキュラ伯爵。 中には、 吸血鬼そのものをドラキュラと呼ぶ人もいますが、これはよくある間違いです。 吸血鬼を意味する英語は「ヴァンパイア」であり、「 ドラキュラ伯爵」とはあくまで、小説作品『 吸血鬼ドラキュラ』に登場するキャラクターの名前です。 小説に登場する吸血鬼ドラキュラ伯爵、その原点は? ドラキュラ伯爵は、ブラム・ストーカーの小説『 吸血鬼ドラキュラ』 1897年)で登場しました。 昼は棺桶で眠り、夜になると人の血を吸い、十字架とニンニクを嫌う…… これぞわたしたちのイメージする 吸血鬼というキャラクターですが、この ドラキュラ伯爵には元になる作品や伝承などがすでに存在しました。 ストーカーが吸血鬼小説を執筆した直接的なきっかけは、同郷の先輩であるシェリダン・レ・ファニュが1872年に著した『吸血鬼カーミラ』である。 この作品を読んで、「吸血鬼」というテーマに強く惹かれたストーカーは、いつか自分なりの吸血鬼小説を執筆しようと思い定めたのだとされている。 ドラキュラ伯爵の生みの親であるストーカーは『 吸血鬼カーミラ』に影響されたのち、1890年に、ハンガリーのブタベスト大学で東洋言語学を執っていた、アルミニウス・ヴァンベリー教授に出会います。 ヴァンベリー教授は冒険家でもあり、数々の国の伝承をストーカーに伝えました。 その中でもトランシルヴァニア地方の伝承はストーカーの興味を惹き、そこからさらに 吸血鬼小説の題材を掴んだといわれています。 後にストーカーは感謝の念を込め、ヴァンベリー教授をモデルにした、ヴァン・ヘルシング教授という重要なキャラクターを『 吸血鬼ドラキュラ』に登場させています。 ドラキュラ伯爵のモデルの一人「串刺し公」ヴラド3世 ストーカーがヴァンベリー教授から得た知識は、伝承だけではありません。 ワラキア公国とモルダヴィア公国の物語」という書物の中にドラキュラ公ヴラド・ツェペシュの名前を見出したストーカーは、1892年に再会したヴァンベリー教授に、この禍々しい人物についてあれこれ質問している。 このヴラド・ツェペシュこそ、 ドラキュラ伯爵のモデルとされる人物です。 トランシルヴァニアに生まれたワラキアの領主ヴラド3世は、仇敵である支配国・オスマン帝国と闘った英雄将軍。 しかし彼はその残虐性ゆえに「串刺し公」「悪魔の子」の異名をもち、まさに ドラキュラ伯爵のモデルとして相応しい、数々の恐ろしい逸話が後世に伝わっています。 「串刺し公」と呼ばれた理由は、捕虜を肛門から口まで木の杭で貫き、そのまま地面に突き立てて野ざらしにしたことから来ています。 「ドラキュラ伯爵」その名の由来は、悪魔か竜か? 前述したように、 ドラキュラ伯爵のモデルとなったヴラド3世には「串刺し公」の他に、「悪魔の子」という呼び名がありました。 この呼び名こそが、 ドラキュラ伯爵の「ドラキュラ」の由来です。 由来には諸説ありますが、有名なものとしては以下があります。 暴虐な支配者として領民に恐れられていたという父ヴラド2世の「悪魔公(ドラクル)」という呼び名を受け継ぎ、「ドラクルの子」を意味する「ドラクレア」から変化して「悪魔の子(ドラキュラ)」と呼ばれるようになったという説だろう。 しかし、「ドラクル」が「悪魔」という意味を 含んでいたとは限りません。 『ヨハネの黙示録』を例に挙げるまでもなく、キリスト教世界においては古来、悪魔と竜は同一の存在と考えられており、ラテン語の「Draco」にも双方の意味が含まれている。 以上を踏まえ、ヴラド2世が神聖ローマ帝国の龍騎士 ドラゴン騎士団)に任じていたことから、「ドラクル = ドラゴン」と解釈する研究者も多いようです。 もしかするとヴラド親子の残忍性によって、名誉ある「竜」の名前が、「悪魔」に転じてしまったのかもしれません。 当時『ドラキュラ大将軍の血に飢えたる野蛮なる凶悪漢についての物語』と題されたパンフレットが存在することからも、ヴラド3世のドラキュラの異名と残忍性は、際だって有名であったことがうかがえます。 ヴラド3世が ドラキュラ伯爵のような 吸血鬼であるという伝説はありませんが、その残忍なイメージは、彼の出身地であるトランシルヴァニアに伝わる伝承とともに、ストーカーの中で ドラキュラ伯爵のイメージ、ひいては『 吸血鬼ドラキュラ』へと繋がっていったのでしょう。 ドラキュラ伯爵は、作者ストーカーの創作人生の集大成 ドラキュラ伯爵の生みの親、ブラム・ストーカーは、1847年にアイルランドの首都、ダブリンで生まれました。 未熟児で生まれたストーカーは、少年時代の大半をベッドの上で過ごし、母親からアイルランドの民話や妖精物語を聞かされて育ったようです。 この経験が、彼の 創作活動に大きな影響を与えたことは想像に難くありません。 ストーカーは大学に進学すると、演劇にのめり込みます。 卒業後には文筆活動も行っており、1875年には通俗週刊誌上で「運命の絆」という怪奇小説も連載しています。 その後劇場支配人に就任した彼は、20数年も劇団を経営する傍ら、 入念な調査を繰り返し、 ドラキュラ伯爵を登場させたヒット作『 吸血鬼ドラキュラ』を1年半の歳月をかけて生み出すのです。 その後も執筆を続けたストーカーは、『 吸血鬼ドラキュラ』から15年後、この世を去りました。 ドラキュラ伯爵は、ひとりのモデルから生まれたのではなく、『 吸血鬼カーミラ』や伝承や 歴史のほか、生涯を演劇と 創作に人生を捧げてきたストーカーの、想像力の集大成が生み出した 吸血鬼といえます。 だからこそ現代でも、「 吸血鬼といえば ドラキュラ伯爵」と言われるほど、確固たる地位を築くキャラクターとなったのでしょう。 本書で紹介している明日使える知識• 『 吸血鬼ドラキュラ』• ヴラド・ツェペシュ• ブラム・ストーカー• ヨーロッパの 吸血鬼• 中東・アフリカの 吸血鬼• etc...

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ドラキュラ伯爵はルーマニアの実在する城をモデルにしていた

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モデルとなった名城 モデルとなった名城 さて毎回、伯爵と共に復活しては、ラストで崩れ去るお城ですが、各作品ごとに実際の古城をモデルとしている様です。 以下に、モデルとされたであろう世界の名城をご紹介致しましょう。 ノイシュバンシュタイン城 (ドイツ) 19世紀に、バイエルン国王ルートヴィッヒ2世によって築城された城で、日本でもとても有名なお城です。 「新白鳥城」の意味を持つこの城は、外観は中世城郭風、内部は絢爛豪華な宮殿風の造りになっており、王の心酔したローエングリンの中世騎士物語の絵画等が飾られています。 山頂にそびえる白亜の城は、まさに羽を広げた白鳥の様な美しさですね。 FC初代の販促チラシの裏面や、 アレンジCD「Perfect Serection ドラキュラ」のジャケットの背景等に、この城の写真が使われています。 また、「月下の夜想曲」のオープニングデモ等の城も、ノイシュバンシュタイン城をモチーフにデザインされている様に見受けられます。 モン・サン・ミシェル城塞 (フランス) ノルマンディーとブルターニュの境にある、島全体が城塞の体を成す聖地。 その名前はイギリスにある聖地「セント・マイケルス・マウント」と同じ意味を表し、立地条件も非常によく似ています。 百年戦争中にイングランドがここを基地とし城塞化されました。 「悪魔城伝説」の箱絵に描かれた城は、特徴的な塔といい、屋根瓦の色といい、明らかに「モン・サン・ミシェル」をモチーフにしています。 当時の専門誌「ファミリーコンピューターマガジン」の攻略記事のタイトルバックにも、この城塞の写真が使用されていました。 海外のPS版のジャケットの写真も、同様です。 また、「悪魔城ドラキュラ黙示録」「〜外伝」の城も同様に、影響を受けている様に思われます。 セゴビヤの城 (スペイン) かのウォルト・ディズニーが映画「白雪姫と七人の小人たち」の城のモデルとした事でも有名なお城です。 クラモレス川とエレヌス川の合流地点の断崖にそびえるこの城は、下から仰ぎ見ると、まさにファンタジーの世界を具現化したかのごとき美しさです。 X68000版「悪魔城ドラキュラ」の説明書の1〜2頁目と背表紙に、 PS版「月下の夜想曲」の説明書の4頁目に、背景としてそれぞれ使用されています。 ブラン城 (ルーマニア) トランシルヴァニア山中にそびえる中世の城で、 13世紀にドイツ騎士団のディトリヒによって建設されたのが始まりとされています。 ブラム・ストーカーは、著書「吸血鬼ドラキュラ」でこの城をドラキュラ城のモデルとしました。 ドラキュラ伯爵のモデル、ヴラド公もこの城に、一時その身を寄せていた経緯があり、そう言った意味では、吸血鬼と因縁浅からぬお城と言えるでしょう。 ブラン城は中世当時の姿のまま現存する壮大な古城で、赤い屋根瓦といい、いかにも吸血鬼が棲んでいそうな雰囲気を十分に漂わせています。 城内には、拷問室や、井戸から続く秘密の抜け穴などがあります。 PCE版「悪魔城ドラキュラX 血の輪廻」のパッケージイラストに描かれている城の円塔に、そのデザインの片鱗を見る事が出来ます。 カリオストロの城 (映画「ルパン三世 カリオストロの城」) 傑作映画「ルパン三世 カリオストロの城」の舞台となる、摂政カリオストロ伯爵の城です。 湖上にそびえる中世城塞の土台の上に、フランス城館風の大小様々な尖塔が林立し、独特の美しさをかもし出しています。 ヨーロッパの城の多くは、絶対王政期以降、本来の城塞の機能を失い、次第に王侯貴族の優雅な城館へと変貌を遂げる訳ですが、その過渡期には、中世城塞の跡を利用して、その上に新たに華麗な館を築く手法が多く用いられました。 その為、各時代の城主が増築していった棟が複雑な配置となり、無骨さと優雅さとを兼ね備えた、非常に美しいシルエットをもつ城が多く生まれました。 このカリオストロの城も同じ様に、連綿と続く公国の歴史の中で、次第にあのような複雑な形になったものと思われます。 全体から受ける印象は、「モン・サン・ミシェル」に近いですが、、ローマ水道橋、クラリス姫の幽閉されていた塔、風車小屋、時計塔など、印象に残る建造物群がこの城の美しさをさらに引き立てています。 また、廃墟と化した大公の館との対比も面白いですね。 「悪魔城ドラキュラ」シリーズは、全体的に「カリオストロの城」の影響を強く受けていますが、中でもSFC版「悪魔城ドラキュラXX」に顕著に表れていると言えるでしょう。 (笑) オープニングデモ画面、ステージマップ、最終面の背景等で確認する事が出来ます。 ブルク・カッツの城 (ドイツ) ライン川沿いにある名城。 1393年から、ヨハン・カッツェネルンボーゲン伯によって築かれた城です。 巨大な石造りの円塔が印象的なお城です。 MD版「バンパイアキラー」のステージ4・ドイツ化学工場の背景として登場します。 火とかげの紋章 (フランス) 「フランス・ルネッサンスの父」と呼ばれた、若きフランス国王・フランソワ1世(在位1515〜47)の紋章。 ライバルの神聖ローマ帝国皇帝・カール5世との間で、激しい勢力争いを繰り返しましたが、文化・芸術を愛し、ブロワ城、シャンボール城、フォンテンブロー宮殿などの壮麗な城を建立しました。 この「火とかげ」の紋章は、城内の至る所に見受ける事が出来ます。 X68k版「悪魔城ドラキュラ」のブロック5・「時計塔」ステージの背景の一部に飾りとして使われています。 ドラキュラ伯爵との関連性は、全く無いでしょう。 (笑) ちなみにヴラド家の紋章は、ドラゴンをモチーフにした物だそうです。 [PR].

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