止利仏師 鞍作鳥。 日本最古の仏像「飛鳥大仏」が鎮座する飛鳥寺は蘇我馬子が建立した古寺

司馬鞍首止利2

止利仏師 鞍作鳥

飛鳥寺 飛鳥寺(アクセス・見どころ・拝観料金・ご朱印・・・)情報を紹介しています。 飛鳥寺の飛鳥大仏(銅造釈迦如来坐像)は日本書紀によると606年(推古天皇14年)、元興寺縁起によると609年(推古天皇17年)に完成したとされ、日本最古の仏像とも言われています。 ちなみに飛鳥大仏は鞍作鳥(止利仏師)作とされています。 【飛鳥寺 アクセス・地図】 場所・・・奈良県高市郡明日香村飛鳥682 最寄り駅・バス停・・・飛鳥大仏(徒歩約3分) アクセス路線は次の通りです。 当初飛鳥寺は法興寺(ほうこうじ)と言われたそうです。 ただ創建年は明確ではなく、馬子の甥で、第32代・崇峻天皇が即位した588年(崇峻天皇元年)とも、日本書紀によると596年(推古天皇4年)とも言われています。 ちなみに馬子は排仏派の物部守屋(もののべのもりや)と対立した際、勝利を祈念し、寺院の建立を誓願したとも言われています。 その後大化の改新によって蘇我氏宗本家は滅亡したが、飛鳥寺は大官大寺・川原寺・薬師寺とともに四大寺として、朝廷の庇護を受けました。 710年(和銅3年)の平城京遷都後、飛鳥寺は718年(養老2年)に平城京に移され、名称も飛鳥寺(法興寺)から元興寺(がんごうじ)に改められ、残された飛鳥寺は本元興寺と称しました。 1196年(建久7年)の雷火によって伽藍が焼失して衰退し、1447年(文安4年)には本尊・釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は雨露に曝される露坐で、江戸時代には仮堂一宇のみだったと言われるが、1825年(文政8年)に大坂の篤志家の援助により、本堂が再建されました。 飛鳥寺は真言宗豊山派の寺院です。 ただ1973年(昭和48年)に行われた奈良国立文化財研究所の調査によると造仏当初の部分は頭部の額から下・鼻から上の部分と右手の第2指から第4指のみだと分かったそうです。 なお飛鳥大仏は像高約275. 2センチです。 重要文化財・・・銅造釈迦如来坐像 【飛鳥寺 連絡先(要確認)】 電話番号・・・0744-54-2126 【飛鳥寺 おすすめ散策ルート】 飛鳥寺近くの岡寺(おかでら)・飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)・石舞台古墳(いしぶたいこふん)などを散策するのがおすすめです。 【飛鳥寺 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】 駐車場あり。

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【国宝仏像】釈迦三尊像(止利仏師)【法隆寺】の解説と写真

止利仏師 鞍作鳥

飛鳥時代の仏師。 生没年不明。 止利仏師 とりぶっし とも。 祖父は しばたっと ,父は多須奈 たすな。 仏教を信仰した渡来人の家系に生まれ,7世紀初め飛鳥 あすか 寺の本尊をつくり,623年にはの金釈迦三尊 しゃかさんぞん を完成。 後者は彼の代表的遺作で,一光三尊の舟形光背 こうはい を負い,裳懸 もかけ 座上にすわる。 この像容は当時半島を経由して伝えられた中国北魏 ほくぎ 末〜東・西魏ころの彫刻様式に基づいている。 これと類似の飛鳥時代の作品が幾つかあり,いずれも鞍作止利の一派の作と思われ,止利の様式が日本の初期の仏像を支配していたことを示す。 また605年に銅・繡の丈六仏像各1軀を造らせたところ,高句麗王がこれを聞いて黄金300両を貢しており 紀 ,ここにも高句麗との関係がうかがえる。 鞍作止利は新漢人(いまきのあやひと)系の帰化人とみなされているが,太子の崩後に造立した法隆寺金堂の釈迦三尊像 623年銘 の作者である。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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飛鳥寺 飛鳥寺(アクセス・見どころ・拝観料金・ご朱印・・・)情報を紹介しています。 飛鳥寺の飛鳥大仏(銅造釈迦如来坐像)は日本書紀によると606年(推古天皇14年)、元興寺縁起によると609年(推古天皇17年)に完成したとされ、日本最古の仏像とも言われています。 ちなみに飛鳥大仏は鞍作鳥(止利仏師)作とされています。 【飛鳥寺 アクセス・地図】 場所・・・奈良県高市郡明日香村飛鳥682 最寄り駅・バス停・・・飛鳥大仏(徒歩約3分) アクセス路線は次の通りです。 当初飛鳥寺は法興寺(ほうこうじ)と言われたそうです。 ただ創建年は明確ではなく、馬子の甥で、第32代・崇峻天皇が即位した588年(崇峻天皇元年)とも、日本書紀によると596年(推古天皇4年)とも言われています。 ちなみに馬子は排仏派の物部守屋(もののべのもりや)と対立した際、勝利を祈念し、寺院の建立を誓願したとも言われています。 その後大化の改新によって蘇我氏宗本家は滅亡したが、飛鳥寺は大官大寺・川原寺・薬師寺とともに四大寺として、朝廷の庇護を受けました。 710年(和銅3年)の平城京遷都後、飛鳥寺は718年(養老2年)に平城京に移され、名称も飛鳥寺(法興寺)から元興寺(がんごうじ)に改められ、残された飛鳥寺は本元興寺と称しました。 1196年(建久7年)の雷火によって伽藍が焼失して衰退し、1447年(文安4年)には本尊・釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は雨露に曝される露坐で、江戸時代には仮堂一宇のみだったと言われるが、1825年(文政8年)に大坂の篤志家の援助により、本堂が再建されました。 飛鳥寺は真言宗豊山派の寺院です。 ただ1973年(昭和48年)に行われた奈良国立文化財研究所の調査によると造仏当初の部分は頭部の額から下・鼻から上の部分と右手の第2指から第4指のみだと分かったそうです。 なお飛鳥大仏は像高約275. 2センチです。 重要文化財・・・銅造釈迦如来坐像 【飛鳥寺 連絡先(要確認)】 電話番号・・・0744-54-2126 【飛鳥寺 おすすめ散策ルート】 飛鳥寺近くの岡寺(おかでら)・飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)・石舞台古墳(いしぶたいこふん)などを散策するのがおすすめです。 【飛鳥寺 備考(駐車場・御朱印・リンク・・・)】 駐車場あり。

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