シェイクスピア 真夏 の 夜 の 夢。 「真夏の夜の夢」を読んだことある?シェイクスピアが描いた妖精たち(2)

真夏の夜の夢

シェイクスピア 真夏 の 夜 の 夢

イギリスではこの2年の間に異常な大雨が降り、『真夏の夜の夢』の中でそれが言及されているからだ。 初演は貴族の結婚式だったらしい。 両家から募った子供たちが妖精を演じ、エリザベス女王自身もスペンサーのフェアリー・クイーンとしてゲスト出演した。 舞台では男性と少年が当時の衣裳を着て演じた。 背景画や舞台装置はなく、パックを演じた少年が第2幕の 終わりで「地球に帯を一巡りさせよう。 40分で」という台詞とともにロープにつかまってスイングし、3幕でも「行くよ、行くよ。 僕が行くのを見ていてごらん。 タタール人の弓矢より早い」と言いながらこのスイングを繰り返した。 当時はシェイクスピア自身がシーシアス公爵を演じるのが習慣だったので、ボトムたちが演じた舞台『ピラマスとシスビー』についてシーシアスがコメントする場面 では笑いが起こったに違いない。 また、ハーレー・グランビル・バーカー卿の有名な著作『シェイクスピアの序文』によれば、ボトムを演じたのはグローブ座付きの副道化師ウィリアム・ケンプ。 そして王政復古後に登場した時には、ヘンリー・パーセル作曲のオペラ『妖精の女王』 1662 になっていた。 次の世紀もシェイクスピアのテキストは更に骨抜きにされ、派手なスペクタクルに仕立て上げられた。 19世紀の初め頃から、メンデルスゾーンの序曲が使われ始め、次第にこの舞台の重要な要素となっていった。 そして、このようなロマン主義嗜好が戯曲の評価を高め、シェイクスピアの傑作の一つとみなされる背景にもなっている。 そのスタートを切ったのが1 844年、コベント・ガーデンでイタリアの劇場マネージャー、マダム・ルチア・ エリザベス・ヴェストリスが制作した舞台。 それから12年後、エドムンド・キーンが制作して人気を集めた舞台では、初めて妖精たちを大人が演じた。 シェイクスピア本来の舞台に戻したのは、1914年、ハーレー・グランビル・バーカー卿によるロンドンの舞台だろう。 彼はまた舞台装置を簡略化し、オベロンとパックを初めて大人の男性に演じさせた。 最初は高名な舞台俳優チャールズ・ケントによる1909年の作品。 同じ年に短編のフランス映画が、1913年には 職人たちの登場しないイタリア版が作られた。 1925年製作のドイツ版は、電話やジャズ・バンドなどデカダンなワイマール時代のアナクロニズムに加え、女性が演じたパックがあまりにも扇情的だとして子供たちの映画館への入場が禁止された。 トーキーになってから最初の作品は、ドイツで活躍した演出家マックス・ラインハルトがやはりドイツ出身のウィリアム・ディターレと共同でワーナー・ブラザースのために監督したオール・スター映画 1935。 ミッキー・ルーニーのパック、ジェームズ・キャグニーのボトム、アニタ・ルイーズのタイタニア、ビクトリー・ジョリーのオベロン、ディック・パウエルのライサンダー、オリビア・デ・ハビランドのハーミアという超豪華な顔ぶれだった。 1959年に旧チェコスロバキアのアニメーション作家イジィ・トルンカが世に出したアニメーション作品は、原作の叙情的な雰囲気をみごとに表現した人形アニメの傑作。 1968年にはイギリス演劇界の大御所ピーター・ホールが、ダイアナ・リグ ヘレナ 、ジュディ・デンチ タイタニア 、イアン・リチャードソン オベロン 、イアン・ホルム パック という一流どころのキャストで映画化した。 また、84年にリンゼイ・ケンプ劇団が作った作品では、背徳と退廃の世界が展開される。 96年にはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの芸術監督エイドリアン・ノーブルが映画化。 また、メンデルスゾーンの音楽とともにシェイクスピアの精神だけを借りて作った遠い従妹のようなウディ・アレン版「サマー・ナイト」 82 のような作品もある。 ハリー・グランビル・バーカーが著書『シェイクスピア序文』の中で書いた文章が、この戯曲に関する最高の言葉だろう。 我々が嗜好と呼んでいる個々の未知の資質に依存して解釈すればいい。 実際的なアドバイスをするならば、まずプロデューサーにシェイクスピア自身の解釈に基づいた作業を完成させてもらおう。 彼が戯曲の音楽と動きを完璧にしたなら、我々がなすべきことはさほどない。 残るは冒険のみ。 オールド・ビック劇場で制作された37年のタイロン・ガスリー演出では、ビビアン・リーがタイタニアを演じた。 58年、バネッサ・レッドグレーブのヘレナとアルバート・フィニーのライサンダーによるストラッドフォード・エイボンでのピーター・ホール演出では、それまでロバの頭に隠れていたボトム チャールズ・ロートン の表情を、鼻と耳だけのシンプルなメーキャップにすることによって観客にも見えるようにした。 これらの舞台はバーカーの簡素性を踏襲して作られたが、その方向性の最高峰は70年、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのピーター・ブルック版だろう。 ブルックは戯曲のエッセンスだけを搾り取り、オベロンとパックのための空中ブランコ、ボトムとタイタニアのための巨大な羽根の形をした赤いハンモックなどを作り、真っ白な舞台に立つ俳優たちの鮮やかな色の衣裳を際立たせた。

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シェイクスピア『夏の夜の夢』笑いのポイントをあげて、レビューしました。

シェイクスピア 真夏 の 夜 の 夢

イギリスではこの2年の間に異常な大雨が降り、『真夏の夜の夢』の中でそれが言及されているからだ。 初演は貴族の結婚式だったらしい。 両家から募った子供たちが妖精を演じ、エリザベス女王自身もスペンサーのフェアリー・クイーンとしてゲスト出演した。 舞台では男性と少年が当時の衣裳を着て演じた。 背景画や舞台装置はなく、パックを演じた少年が第2幕の 終わりで「地球に帯を一巡りさせよう。 40分で」という台詞とともにロープにつかまってスイングし、3幕でも「行くよ、行くよ。 僕が行くのを見ていてごらん。 タタール人の弓矢より早い」と言いながらこのスイングを繰り返した。 当時はシェイクスピア自身がシーシアス公爵を演じるのが習慣だったので、ボトムたちが演じた舞台『ピラマスとシスビー』についてシーシアスがコメントする場面 では笑いが起こったに違いない。 また、ハーレー・グランビル・バーカー卿の有名な著作『シェイクスピアの序文』によれば、ボトムを演じたのはグローブ座付きの副道化師ウィリアム・ケンプ。 そして王政復古後に登場した時には、ヘンリー・パーセル作曲のオペラ『妖精の女王』 1662 になっていた。 次の世紀もシェイクスピアのテキストは更に骨抜きにされ、派手なスペクタクルに仕立て上げられた。 19世紀の初め頃から、メンデルスゾーンの序曲が使われ始め、次第にこの舞台の重要な要素となっていった。 そして、このようなロマン主義嗜好が戯曲の評価を高め、シェイクスピアの傑作の一つとみなされる背景にもなっている。 そのスタートを切ったのが1 844年、コベント・ガーデンでイタリアの劇場マネージャー、マダム・ルチア・ エリザベス・ヴェストリスが制作した舞台。 それから12年後、エドムンド・キーンが制作して人気を集めた舞台では、初めて妖精たちを大人が演じた。 シェイクスピア本来の舞台に戻したのは、1914年、ハーレー・グランビル・バーカー卿によるロンドンの舞台だろう。 彼はまた舞台装置を簡略化し、オベロンとパックを初めて大人の男性に演じさせた。 最初は高名な舞台俳優チャールズ・ケントによる1909年の作品。 同じ年に短編のフランス映画が、1913年には 職人たちの登場しないイタリア版が作られた。 1925年製作のドイツ版は、電話やジャズ・バンドなどデカダンなワイマール時代のアナクロニズムに加え、女性が演じたパックがあまりにも扇情的だとして子供たちの映画館への入場が禁止された。 トーキーになってから最初の作品は、ドイツで活躍した演出家マックス・ラインハルトがやはりドイツ出身のウィリアム・ディターレと共同でワーナー・ブラザースのために監督したオール・スター映画 1935。 ミッキー・ルーニーのパック、ジェームズ・キャグニーのボトム、アニタ・ルイーズのタイタニア、ビクトリー・ジョリーのオベロン、ディック・パウエルのライサンダー、オリビア・デ・ハビランドのハーミアという超豪華な顔ぶれだった。 1959年に旧チェコスロバキアのアニメーション作家イジィ・トルンカが世に出したアニメーション作品は、原作の叙情的な雰囲気をみごとに表現した人形アニメの傑作。 1968年にはイギリス演劇界の大御所ピーター・ホールが、ダイアナ・リグ ヘレナ 、ジュディ・デンチ タイタニア 、イアン・リチャードソン オベロン 、イアン・ホルム パック という一流どころのキャストで映画化した。 また、84年にリンゼイ・ケンプ劇団が作った作品では、背徳と退廃の世界が展開される。 96年にはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの芸術監督エイドリアン・ノーブルが映画化。 また、メンデルスゾーンの音楽とともにシェイクスピアの精神だけを借りて作った遠い従妹のようなウディ・アレン版「サマー・ナイト」 82 のような作品もある。 ハリー・グランビル・バーカーが著書『シェイクスピア序文』の中で書いた文章が、この戯曲に関する最高の言葉だろう。 我々が嗜好と呼んでいる個々の未知の資質に依存して解釈すればいい。 実際的なアドバイスをするならば、まずプロデューサーにシェイクスピア自身の解釈に基づいた作業を完成させてもらおう。 彼が戯曲の音楽と動きを完璧にしたなら、我々がなすべきことはさほどない。 残るは冒険のみ。 オールド・ビック劇場で制作された37年のタイロン・ガスリー演出では、ビビアン・リーがタイタニアを演じた。 58年、バネッサ・レッドグレーブのヘレナとアルバート・フィニーのライサンダーによるストラッドフォード・エイボンでのピーター・ホール演出では、それまでロバの頭に隠れていたボトム チャールズ・ロートン の表情を、鼻と耳だけのシンプルなメーキャップにすることによって観客にも見えるようにした。 これらの舞台はバーカーの簡素性を踏襲して作られたが、その方向性の最高峰は70年、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのピーター・ブルック版だろう。 ブルックは戯曲のエッセンスだけを搾り取り、オベロンとパックのための空中ブランコ、ボトムとタイタニアのための巨大な羽根の形をした赤いハンモックなどを作り、真っ白な舞台に立つ俳優たちの鮮やかな色の衣裳を際立たせた。

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真夏の夜の夢 A Midsummer Night's Dream:シェイクスピアの祝祭喜劇

シェイクスピア 真夏 の 夜 の 夢

特にこの作品には、シェイクスピア喜劇のエッセンスが詰まっている。 それは、人間の移ろいやすい心を笑い飛ばしてわれわれを愉快にさせる仕掛けである。 大公のシーシアスの宮殿。 シーシアスは婚約者のヒポリタともども、結婚式が待ちきれない。 そこに美人で若い娘ハーミアが父の決めた婚約者ディミートリアスではなく、自分の選んだライサンダーとの結婚を申し出る。 アテネの法律では、父親の決めた相手と結婚しなければ、厳しい罰を受けなければならない。 そこで恋人ライサンダーとハーミアは、駆け落ちをする。 それをハーミアの友人で、ディミートリアスにぞっこんのヘレナに伝える。 ヘレナは、ディミートリアスの気をひきたくて、その事を彼に告げてしまう。 駆け落ちの途中、ライサンダー、ハーミア、ディミートリアス、ヘレナの4人が魔法にかけられてしまう。 そこでは妖精の王オーベロンと、女王タイターニアが夫婦喧嘩をしている。 オーベロンが妖精パックに命じたのは、アテネの服を着た若者が寝ている間にほれ薬を目の上にたらすというもの。 その男が起きたら、最初に目にする者に恋してしまうという薬。 ところがパックは間違った男の目にほれ薬をたらしてしまう。 結果として、これまでディミートリアスを追い求めていたヘレナを、二人の男たちが恋い焦がれて追いかけることに。 ハーミアは、ポカンとしたままこれまで自分に恋していたディミートリアスと、自分の恋人ライサンダーがヘレナを追いかける姿を見る。 最後は、ディミートリアスもハーミアへの熱が冷め、以前に約束を交わしていたヘレナとの結婚を申し出、ライサンダーとハーミアも結婚できることになる。 大公の結婚式の日に一緒にこの二組も結婚できることになり、ハッピーエンドを迎える。 こうしたシチュエーション(状況)の面白さがシェイクスピアの笑いの原点です。 それはまた、現代のテレビのコメディー番組、特にシチュエーション・コメディの原点ともいえるでしょう。 シェイクスピアはこの劇で、移ろいやすいわれわれの恋心を、悲観するのではなく、笑い飛ばしています。 どのようなことが起こっても、それをすべて肯定してしまう底抜けな明るさがあるのです。 コミュニケーション改善の請負人として、高級ホテル、外食チェーン、外車ディーラー、IT企業など、20年で延べ4万人あまりを直接指導。 夢は、英国でシェイクスピア芝居を英語で上演すること。 miyamacg. com.

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