新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事。 大伴家持歌碑(おおとものやかもちかひ)|鳥取市

大伴家持歌碑(おおとものやかもちかひ)|鳥取市

新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事

ますます たび重なる」(『新潮国語辞典』)の意の命令形。 親しい者どうし。 心の合った者どうし」(岩波古語辞典)。 集まっている」(同上)。 「めり」は推量の助動詞。 上記、水島義治『校註万葉集東歌・防人歌』新増補改訂版(笠間書院)から摘記引用。 なお、「正丁」は「大宝令(たいほうりょう)の制で、二十一歳以上六十歳以下の健康 な 男子の称。 ……身体に病気・故障のある者、および六十一歳以上の者を次丁とする」 (新 潮国語辞典)。 「助丁(すけを)」は「防人(さきもり)の身分で、正丁に対する 次丁を いう」(岩波古語辞典)。 上記、水島義治『校註万葉集東歌・防人歌』新増補改訂版(笠間書院)から摘記引用。 〔 〕は補足。 なお、「はも」は「連語(係助詞のハとモとの複合したもの)」で、「(文末の体言に つ いて)強い愛情や執心などをこめた詠嘆をあらわし、…はどうしたろう、…はどうな った ろう、などの意に使う」(岩波古語辞典)。 なお、万葉集の古写本として信頼度の高い西本願寺本の原文は馬偏に旁(つくり)「麗」 の文字、万葉集の歌を再編集した最初の本『類聚古集』では馬偏に旁「聚」の文字。 「みもろ」は「御室、三諸、御諸」と表記され る。 岩波古語辞典によれば、「ミは接頭語。 モロはモリ(杜)と同根、神の降下してく る所」、「ツクは築く意か。 一説、イツク(斎)の約」。 「こもりく」は「隠国、隠口」と表記される。 岩 波古語辞典によれば、「クはイヅクのク、所の意」。 …たらしい」(岩波古語辞典)。 原文『去 来』は中国の俗語として用いられた文字」、「子ドモは年下または目下の親しい人々に 対する呼びかけ」(日本古典文学全集『萬葉集一』)。 ……このように複数だけを表わす単語は、日本語には他例が ない」(岩波古語辞典)。 愛すべき。 『ああ』という嘆息の語 とほとんど同義になる例が多い。 亡くなったものを愛惜し、また自己に対して嘆息する 意に多くつかう。 はしきよし。 はしけやし」(岩波古語辞典)。 従って相手に呼びかけるに使う。 また、拍子を整えるに用いる」(岩波古語辞典)。 「采女」は「奈良時代の、後宮の 女官。 天皇・皇后の御膳(ゴゼン)・手水(チヨウズ)などに奉仕した。 令制(リヨウ セイ)では郡(コオリ)の小領(スケ)以上の者の美しい娘をあてた」(新潮国語辞 典 )。 伊藤博『萬葉集釈注(一)』(集英社文庫)によれば、「臣下との結婚を禁じら れていた采女を、藤原鎌足だけが妻となしえた喜びを誇示した歌」、「安見児」は「こ の采女の呼び名。 見た目によいかわいこちゃん、の意らしい」。 金属製の門か」(岩波古語辞典)。 「奈良時代にはアシヒキノと清音」(岩波古語辞 典)。 ウヘには物に直接接触す る意があるので、ナヘは、『…の上』の意から時間的に同時・連続の意を表わすように なった。 用言の連体形を承ける)…と共に。 …と同時に。 …につれて」、「この語は長 らくナベと読まれて来たが、万葉仮名の研究から、奈良時代にはナヘと清音であったと されるようになった。 『…なへに』の形でも使われる」(岩波古語辞典)。 1月27日 題詞に「湯原王の宴席の歌」とあり。 薄くすき透って美しいものとされた。 1月28日 公務で出かけた夫の帰りを長く待ちわびて臥せっていた女が、帰ってきた夫の自分を見 て悲しんでうたった歌に、枕より頭を挙げて和した歌。 [口語訳]「黒髪もしとどに濡れて、粉雪のふりしきる中をお帰り下さったのですか。 私がこんなにもお慕い申していたので」(伊藤博『萬葉集釈注(八)』〈集英社文庫 〉)。 こんなにはなはだしく」(岩波古語辞典)。 いささか。 かすか。 『子らし』の『し』は、強めの副助詞。 『あ やに』は、やたらにの意」、「も」は「(終助詞)詠嘆・感動の気持ちを添えるのに用 いられる」(『例解古語辞典第二版』三省堂)。 1月30日 大伴家持に贈った歌。 ナは無しの語幹。 性根もなくてどうにもならぬの 意)やたらに…してどうにもならない」(岩波古語辞典)。 「『〜つつもとな』…この 表現は、環境の状況と作者の心情とのあいだに生ずるやりきれない違和感を述べる表現 として結句に用いられる。 …相手の反応のないことを嘆いている自分なのに、千鳥には 答える友のいるらしいことが『鳴きつつもとな』である」(伊藤博『萬葉集釈注(二)』 〈集英社文庫〉)。 はて」(岩波古語辞典、以下同じ)。 なか」。 本当に。 奈良時代は下に打消の表現を伴い、決して、少 しもの意」。

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《新版 万葉秀歌365ふばこ》1月

新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事

明けましておめでとうございます 本年は戌年 招福干支 東京人形町 土鈴の犬:神楽坂 起き上がり小法師 会津 自宅で 万葉集その六百六十五 新年の歌:戌 「 新 あらた しき 年の初めの 初春の 今日 けふ 降る雪の いや重 し け吉事 よごと 」 巻20-4516 大伴家持 新しい年の初め、この初春の今日降る雪のように めでたいことも次々と積み重なれ。 「いやしけ」: あとからあとから絶えることなく。 759年、因幡国庁 鳥取県 での賀宴で詠われたもので 万葉集掉尾 ちょうび を飾る一首。 当時、正月の大雪は豊年の瑞兆と考えられており、さらに、 この年は暦の上で元旦と立春が重なるという吉日。 幾重にもめでたい新年の歌です。 「 春立つや 新年ふるき 米五升 」 芭蕉 「ふるき米」は旧年中に人が瓢箪にいれてくれた米。 「さぁ、我家のひさごは米五升も入って心豊かな新年がやってきた。 」と寿ぐ作者。 「 犬ころが 越後獅子より あざやかに 舞ふとて二人 手のひらを打つ 」 与謝野晶子 犬ころ:子犬 本年の十二干支は戌、動物は犬が当てられています。 「戌」は「一」と「伐 ほこ 」を組み合わせた会意文字で、もともと 「刃物で作物を刈ってひとまとめに締めくくり、収穫する」意であったそうですが 干支名となったので原義が忘れられ「犬」と同義語になっています。 また「犬」は「いぬ」を描いた象形文字。 犬と戌がなぜ組み合わされたのかは定かではありません。 犬はあらゆる動物の中で最も古い家畜の一つとされ、今から2万年も前から 先祖である狼かそれに似た動物を長年にわたって飼い馴らし、交配を重ねて 生み出されたものと考えられています。 我国では縄文時代の遺跡から出土した骨などから、人々の良き伴侶して 生活をしていたことが窺われ、その祖先は今日の秋田犬と推定。 大和朝廷では「犬養部」という専門部署を設けて狩猟、警備、労役、軍用、 愛玩用に飼育させる重要な動物でした。 万葉集では3首 うち長歌2。 次の歌は番犬として詠われたもので、まずは訳文から。 「 赤駒を 馬屋に立たせ 黒駒を馬屋に立たせ そいつを大事に世話して 私が乗って行くように 可愛いい妻が おれの心に乗りかかってきてさ。 男の思い 」 「 そうそう、高い山の峰のくぼみに 射目を設けて鹿猪 しし を 待ち伏せるように 寝床を敷いて 私がお越しを待っている方なのだから 犬よ、やたらに吠えないでおくれ。 女の思い 」 巻13-3278 作者未詳 訓みくだし文 「 赤駒を 馬屋に立て 黒駒を 馬屋に立てて そを飼ひ 我が行くごとく 思ひ妻 心に乗りて 高山の 峰のたをりに 射目 いめ 立てて 鹿猪 しし 待つごとく 床敷きて 我が待つ君を 犬な吠えそね 」 巻13-3278 作者未詳 赤駒: 栗毛の雄馬 赤駒、黒駒の対句によって勢ぞろいして馬に乗り 狩りに出かける様子を述べる そを飼い: 赤駒、黒駒を大切に飼育し 心に乗りて: 我が心に乗っかって離れない 峰のたをりに: 「たをり」峰続きの山の低くなった部分、鞍部で動物の通路 射目:鳥獣を射るために身を隠す場所 床敷きて: 共寝するために予め自分の着物を敷くこと 狩猟における収穫の宴の場で身振り,所作を交えながら 寸劇を演じたものと思われ 「 我家の守りについているワン公よ、私の恋の邪魔立てをするんじゃないよ」と おどけたユーモラスな一首。 伊藤博氏は 「 健康に満ちた、古代の狩場の高笑いがじかに聞こえてくるような歌で 興趣が尽きない。 生産に直結する男女のかような関係を、身をもって興じることは 幸の寿ぎにつながり、人々の歓楽をこよなく誘ったのであろう 」 と評されています。 「 かろやかに 駈けぬけゆきて ふりかへり われに見入る 犬のひとみよ 」 若山牧水 犬は古くから作物の獣害を追い払う霊性をもつ神の使いとされていました。 大和朝廷では薩摩隼人 狗人:くびと ともいう を宮廷の警護や儀式役に任命し、 隼人は見廻りにあたって吠声 はいせい を発していたそうです。 「吠声」とは犬の吠える声をまねたものですが、邪神、悪鬼を追い払い あたりを祓い清める呪術とされ、日常の警護のほか天皇の行幸の際にも 大声を出しながら先頭を歩き、さらに幕末に孝明天皇の大嘗祭でも 隼人発声がなされたといわれています。 現在いたるところの神社にみられる狛犬はこのような犬の霊性が 具象化されたものでしょうか。 「 犬吠 ほえ て 里遠からず 冬木立 」 正岡子規 ご参考: 戌年生まれの一代運勢 正直で義理堅く、自尊心が強い。 おおむね他力本願で成功する天運。 したがって謙虚にして、目上に従えば中年になって抜群の出世をする。 但し、強情さを謹んで謙虚にしないと、悔いの多い人生を送る憂いがあるので要注意。 十二干支の話題辞典 加藤迪男 東京堂出版より 万葉集665 新年の歌 戌 完 次回の更新は1月5日 金 の予定です。

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「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」の英訳『英語で味わう万葉集』ピーター・マクミラン

新しき 年 の 初め の 初春 の 今日 降る 雪 の いやし け 吉事

「万葉集」が存在すること自体、奇跡であり、世界有数の文化遺産です。 現存最古の歌集であり、今日まで続く和歌(短歌)の源流をなすものです。 日本には、古い文化遺産が多すぎて、有ること自体が当たり前になっていてその凄さを実感できていないのではないでしょうか。 詩歌などを選択し、編集したものをアンソロジーといいます。 「花冠」(前7世紀から前3世紀の詩集)古代ギリシアのメシアグロス編 「詩経」(前1100年頃から前600年頃)中国の古典 などが最古のものといえるようですが、「万葉集」は質・量とも世界に冠たる日本の古典文化の粋をあつめたものであるということがいえます。 「万葉集」には、400年頃の仁徳天皇の磐姫皇后の歌[85]から759年正月の大伴家持の歌[4516]まで350年間にわたる4516首の歌が集められています。 天皇・皇后から貴族、階層の低い一般民衆の歌まで含みます。 太宰府に送られた防人の歌や農民の歌などを含み、現代の我々の琴線に触れる秀歌が集められています。 万葉集に歌われた感情は、現在に通じるものです。 古代人とて現代人と少しもかわりません。 古いもので1600年、新しい歌で1300年前の個人の喜怒哀楽が生き生きとつたわってきます。 日本人として心情においてつながっていることを実感できます。 最終的な編集責任者は、大伴家持(718年〜785年)であるとされています。 彼は、公卿として従三位中納言まで登りつめています。 つまり大臣クラスの高級官僚であったわけです。 和歌を読めるということは、貴族のみならず、官人としての必須の教養でした。 よって武家の時代になってからも、みな和歌を詠んでいます。 律令国家の最盛期である奈良時代は、唐風文化の最盛期でもあり、漢文が公用語とされる時代でもありました、その中にあって、「やまと言葉」の和歌集を後生に残す苦労は並大抵のものではなかったはずです。 「古事記」と並んで、唐風文化に対する日本の古来の考え方を守った本としても奇跡の本であると言えます。 江戸時代に入って、日本の心をたずねる国学が興ったとき、先ず「万葉集」と「古事記」の研究から始まりました。 山上 憶良(660年〜733年)の歌を紹介します。 「貧窮問答歌」[982]であるとか、その反歌である「世間を憂しと恥 やさ しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば[893]」や子供を歌った「銀しろかねも金くがねも玉も何せむにまされる宝子にしかめやも[803]」が有名です。 それだけではありません。 古代の日本を考える上で重要な歌を残しています。 憶良が、親戚である遣唐使丹比真人広成を天平5年 733年)3月1日に送別した時の長歌です。 憶良は、遣唐使に派遣された経験をもち、従五位下、筑紫守まで出世しました。 今で言うと県知事クラスの官僚です。 「神代より 言い伝えて来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳(いつく)しき国 言霊の幸はふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知り足り… (神代の昔から言い伝えて来たことがある、この大和の国(=日本)は皇祖の神の御霊の尊厳な国(=万世一系の天皇が厳として存在する国)、言霊が幸をもたらす国と、語り継ぎ言い継いで来た。 此の事は今の世の人も悉く目のあたりに見、かつしっている。 …)[894]」 日本の高官であり、唐を知っていました。 さらに、白村江の戦いに敗れて帰国した武官の子供でもありました。 その唐と百済と日本の特徴を肌でつかんでいる国際教養人の憶良が日本を定義して 皇神の厳き国=皇祖の神の厳といます国つまり古代より天皇の統治する国 言霊の幸はう国=言霊が幸をもたらす国 万世一系の天皇の存在と、よい言霊によりよきことを招き寄せていることを今の世の人も悉く目のあたりに見て知っていると歌っているのです。 この言霊の力については、古今和歌集のかな序でも確認できます。 「やまと歌は、人の心を種として、よろず言の葉とぞなれりける。 …力をも入れずして天地(=天や地を守る神々のこと)を動かし、目に見えぬ鬼神(おにがみ=精霊のこと)をもあわれと思わせ、男女の中をもやわらげ、猛きもののふのこころをも慰むるは歌なり。 」 つまり、言霊によって天や地を守る神々も目に見えぬ精霊をも動かすことが出来ると述べているのです。 ドナルド・キーンは、このかな序を書いた紀貫之は、「詩には超自然的な存在を動かす力があると説いていて、これは欧米で超自然的な存在が、その霊感に動かされた詩人を通して語るのだと信じられていたことと反対である。 」と述べています。 圧倒的な唐化の時代である奈良時代にあって、日本としてのアイデンティティを主張した「万葉集」を学ぶことによって、グローバリズムの中で、本来の日本の良さを忘れている私達は、日本の歴史を肯定的に学び直す必要があるように思います。 まさに「温故知新」です。 万葉集を源流とする和歌は、やがて古今和歌集 905年 から新続古今和歌集(1439年)までつらなる21の勅撰和歌集(天皇の命によって編纂された和歌集)につながっています。 さらには、今日宮中行事として定着している「歌会始の議」につながっています。 毎年お題が発表され、応募して選ばれた歌人は、高校生であろうと老人であろうと地位にかかわらず今日でも宮中に呼ばれ天皇・皇后の前で和歌が朗詠されます。 万葉集時代の「和歌の前に平等」の精神が今も息づいているのです。 言霊に力があるのかということについて、宇野正美の講演会で不思議な話を聞きました。 大東亜戦争の激戦地であった硫黄島には、たくさんの兵士が眠っています。 自衛隊が駐屯しているのですが、この島では浮かばれない兵士の幽霊が自衛隊員を悩ますのを通例としていたとのことです。 天皇皇后両陛下が硫黄島にこられ慰霊の和歌を詠まれたあとは、怪奇現象がなくなり、自衛隊員が幽霊に悩まされることは、なくなったということです。 言霊には力があるのです。 古来日本人は、よき言霊によりよきことを招き寄せることができると信じていたのです。 否、知っていたのです。 「万葉集」の結びの和歌は、 「新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ(=つづけ)吉事(よごと)[4516]」とあります。 雪が降り続くように良いことが続きますように、という祈りの込められた「万葉集」は、今日まで受け継がれることとなりました。 国歌「君が代」も、日本国及び日本国の象徴であります天皇が永遠に弥栄えますように、との伝統にのっとった祈りであることがわかります。

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