スイミー あらすじ。 スイミー/レオ・レオニ 作・谷川俊太郎 訳(好学社)【絵本レビュー】

読むだけでなぜか優しい気持ちになれる。「レオ・レオニ」の絵本の世界へ出かけよう

スイミー あらすじ

登場人物(キャスト) 柴田治(リリー・フランキー) 東京の下町に暮らす日雇い労働者。 祥太と組んで万引きを繰り返し、生活費の足しにしている。 本名は榎勝太。 柴田信代(安藤サクラ) 治の妻。 クリーニング工場でパート勤務をしている。 本名は田辺由布子。 柴田初枝(樹木希林) 治の母。 年金受給者。 夫とは離婚している。 柴田亜紀(松岡茉優) 信代の妹。 「さやか」という源氏名で風俗店で働いている。 柴田祥太(城桧吏) 治の息子。 学校には通わず、自宅で小学2年の教科書を繰り返し読んでいる(「スイミー」がお気に入り)。 治と組んで万引きをしている。 凜(佐々木みゆ) 近所の団地の廊下に放置されていた少女。 治が見かねて家に連れて帰り、柴田家の一員となる。 両親から虐待を受けている。 本名は北条じゅり。 4番さん(池松壮亮) 亜紀が働く風俗店の常連客。 亜紀とは筆談でコミュニケーションをとっている。 柴田譲(緒形直人) 初枝の離婚した夫と再婚相手の子供。 亜紀の本当の父親。 柴田葉子(森口瑤子) 譲の妻。 亜紀の本当の母親。 柴田さやか(蒔田彩珠) 譲と葉子の娘。 亜紀の妹。 高校2年生。 北条保(山田裕貴) 凜の父。 希に暴力をふるっている。 北条希(片山萌美) 凜の母。 夫の保からDVを受け、そのストレスのはけ口としてゆりを虐待している。 山戸頼次(柄本明) 柴田家の近所にある駄菓子屋「やまとや」の店主。 祥太の万引きを見逃し、ある言葉をかける。 前園巧(高良健吾) 警察官。 祥太と凜を保護し、保らを取り調べる。 宮部希衣(池脇千鶴) 警察官。 信代に「母親ではない」という事実を突き付ける。 あらすじ 東京の下町。 高層マンションの谷間に取り残された古い平屋に5人の家族が住んでいる。 治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)の夫婦、息子の祥太(城桧吏)、信代の妹の亜紀(松岡茉優)、そして年金受給者である家主の初枝(樹木希林)。 治は日雇いの仕事、信代はクリーニング工場で働いているが、足りない生活費を補うため日常的に万引きを繰り返していた。 治は祥太を学校には通わせず、万引きを教え込む。 一家の暮らしは貧しかったが、笑いの絶えない日々を送っていた。 ある冬の日、治は近所の団地の廊下で震えている幼い女の子(佐々木みゆ)を連れて帰る。 ゆりと名乗る女の子の体には、たくさんの傷やあざがあった。 深夜、治と信代はゆりを団地に返しに行くが、ゆりの両親が罵り合う声が聞こえ、「産みたくて産んだんじゃない」という母親の言葉を耳にした信代はゆりを連れて帰る。 春になり、5歳の女の子が行方不明というニュースが流れる。 ゆりの本当の名前は「じゅり」だった。 ゆりを愛し始めた信代は「りん」という名前をつけ、髪を短く切る。 ゆりもまた、「りん」として生きることを選ぶ。 夏のある日、一家は揃って海へと出かけ、楽しい一日を過ごす。 りんも新しい水着を着てはしゃぐ。 初枝はそのようすを見て穏やかに微笑む。 翌朝、初枝は朝になっても目を覚まさず、ひっそりとこの世を去る。 葬儀代を払えない信代たちは初枝の遺体を床下に埋め、初枝の死を隠蔽する。 初枝の年金を今までどおり受け取り、部屋に隠してあったヘソクリを見つけて喜ぶ治と信代。 祥太はそんな2人を無言で眺める。 祥太はいつも万引きしている駄菓子屋の店主(柄本明)から「妹にはやらせるな」と言われたことをきっかけに、万引きに疑問を抱き始める。 そしてスーパーで万引きしようとしたりんをかばって、わざと店員の見えるところで万引きする。 祥太は逃げる途中で足を骨折し、病院に運ばれる。 事件は警察の知るところとなり、一家は密かに荷物をまとめて逃げようとするが捕まってしまう。 亜紀は治と信代が初枝とは何の関係もない赤の他人だったこと、初枝が自分の両親から金を受け取っていたことを知って驚く。 亜紀は初枝を捨てた夫が再婚相手に産ませた子供の娘で、治はかつて信代の夫を殺害した罪で執行猶予付きの実刑判決を受けていた。 祥太は治が車上荒らしをしていた時に車の中に置き去りにされていたのを拾ってきた子供だった。 母親になれないことを悟った信代は、すべての罪を被って刑務所に入る。 祥太は施設へ行くことになり、りんは両親のもとへ戻る。 月日が経ち、学校に通うようになった祥太は、一人暮らしをしている治に会いに行く。 祥太は治に「僕を置いて逃げようとしたの?」と問い、治は頷く。 翌朝、祥太は治に別れを告げ、施設へと戻るためバスに乗る。 治は祥太の名前を呼びながら、祥太が乗ったバスを必死に追いかける。 その姿を見ながら、祥太は「おとうちゃん」とつぶやく。 両親のもとに戻ったりんは、また以前のように母親から虐待を受ける。 部屋から閉め出され、団地の廊下で遊んでいたりんの目が、何かを捉える。 感想と解説(ネタバレ有) ネット上のレビューを見たところ賛否両論あるようですが、わたしは面白かったです。 物語の背景に多くの社会問題が盛り込まれている (貧富格差、年金不正受給、独居老人、不審死、DV、児童虐待、労災事故など)せいで、ややメッセージ性を強く感じる点や、いつにもまして重く暗い雰囲気になっている点が、見る人を選ぶのかもしれません。 是枝監督のインタビューからも、社会問題ありきで物語が練られたことがうかがえます。 「ファミリードラマにピリオドを打って、現代の日本が抱える問題の上に家族を置き、そこで起きる摩擦を描こうとしたのが、今回の、今までの作品と違うところです」 (映画. com ニュースより) わたしはどちらかというと大きな社会問題よりも個人の問題 (心の中のことや人間関係)のほうに強く惹かれるタイプなので、そちらを重点的に見てしまったかもしれません。 信代と治の関係 血の繋がりはなく、年金の不正受給や万引きをしなければならないほど生活は貧しいのに、幸せそうな6人の笑顔が印象的でした。 あの古い平屋の一軒家は、もともと初枝の家でした。 治と信代 (初枝の息子夫婦の名前)を名乗る2人は、初枝とはなんの関係もない赤の他人で、どういう経緯でかはわからないけど初枝の家に転がり込んできた。 治は信代の夫を殺した罪で執行猶予つきの実刑判決を受けていました。 信代は夫からDV被害を受けていて、治と共謀して夫を殺害し、死体を埋めて隠蔽したと思われます。 直接的な説明はありませんでしたが、信代も治も、おそらく親の愛情を知らずに育ったのでしょう。 母親から「産まなきゃよかった」と言われ、自分自身を否定して生きてきたのでしょう。 信代はりんに、治は祥太に、子供の頃の自分を投影し、自分自身を愛そうとしていたのかもしれません。 亜紀と初枝の関係 初枝を「おばあちゃん」と慕い、幼い子供のように甘える亜紀も、初枝とは血が繋がっていません。 亜紀は、初枝の離婚した夫と再婚相手の間にできた息子の子供です。 どうやら初枝の夫は浮気したあげく彼女を捨てたようですが、なぜ亜紀が初枝を慕うようになったのかはわかりません。 けれど、2人がどうしようもない孤独を抱え、依存し合っていたことはわかります。 その一方で、初枝は亜紀に内緒で、夫の月命日になると亜紀の両親宅を訪れ、お金をもらっていました。 亜紀の両親は最後まで知らないふりをしていたけど、亜紀が初枝の家にいることを知っていたんじゃないでしょうか。 初枝が亜紀から「生活費」を取らなかったのは、そのため。 そして初枝の死後、両親からもらったお金がそのままヘソクリとして残されていたのを見ると、いずれ亜紀のために使おうと思っていたのかもしれません。 『スイミー』が登場する理由 古くて狭くてみすぼらしい一軒家に集まった彼らは、家族や社会から捨てられた人々。 そんな彼らが肩を寄せ合って生きているさまは、 劇中に出てくるレオ・レオニの絵本『スイミー』のストーリーとも重なります。 『スイミー』のあらすじ小さな魚のスイミーは、赤い色をした兄弟たちの中で、一匹だけ黒い色をしていました。 ある日、兄弟たちは大きなマグロに飲み込まれ、泳ぎの速いスイミーだけが助かりました。 生き残ったスイミーはさびしさとこわさに震える中で、初めて海の中のほかの生き物に目を向け、自分が住む世界の豊かさや美しさに気づきます。 やがてスイミーは兄弟たちに似た赤い魚の群れを見つけます。 彼らは大きな魚に怯え、岩陰から出ようとはしません。 スイミーは彼らを岩陰から出すために、必死にアイデアを絞ります。 そして、みんなで一緒にくっついて泳ぎ、大きな魚のふりをすることを思いつきます。 スイミーは黒い色を生かして〝目〟となり、みんなで力を合わせて大きな魚を追い払いました。 この『スイミー』を劇中に取り入れたことについて、是枝監督は次のように語っています。 (親の虐待を受けていた子たちが暮らす施設で)取材をしていると、女の子がランドセルを背負って帰ってきた。 『何の勉強をしているの?』と聞いたら、国語の教科書を取り出して『スイミー』を読み始めた。 職員が『みんな忙しいんだからやめなさい』と言っても聞かずに、最初から最後まで読み通した。 みんなで拍手をしたら、すごく嬉しそうに笑ったんです。 この子はきっと、離れて暮らしている親に聞かせたいんじゃないか、と思った。 朗読している女の子の顔が頭から離れなくて、すぐに脚本に書きました。 (映画. com ニュースより) そしてその後、「僕は『スイミー』を読んでくれた女の子に向かって作っているんだと思います」とも語っていました。 つまりこの『スイミー』という物語は、この作品においてとても重要な位置づけになっていると思われるのです。 『スイミー』との共通点 「万引き家族」と『スイミー』の共通点を考えたとき、まっさきに思いつくのが「仲間を失った孤独なスイミーが再び仲間を見つけたこと」であり、「みんなで力を合わせ大きな魚を追い払ったこと」だと思います。 しかし、作者のレオ・レオニがこの作品で最も重要だと感じていたことは、そこではありません。 それは「悲しみの中で目を閉じないこと」であり、「世界の豊かさに気づくこと」であり、「自分の個性と役割を受け入れて動き出すこと」でした。 おそらくスイミーは祥太でしょう。 ラストシーンで描かれた祥太は、外の世界で学んだ知識を治に教えるほどに逞しく成長していました。 教えられたことを受け入れるだけでなく、自分の目で見て、自分の頭で考える術を手に入れたのだと思います。 いつの日か遠くない未来に、祥太は家族の「目」となって、彼らを導く人になる。 そんな希望を抱かせるシーンでした。 家族の崩壊と再生 彼らの絆が社会のルールや常識によって無慈悲に引き裂かれたことは、悲しい。 けれど、あのまま5人の暮らしが続いたとしても、いずれ破綻する日が訪れたように思えます。 治は治なりに祥太を愛し、一生懸命に育てていたのでしょうが、結果的には子供を〝狭い世界〟に閉じ込めてしまっていた。 信代にしても同じです。 なぜなら彼らは、自分自身を愛そうとしていたから。 信代はそのことに気づいたからこそ、祥太に本当の両親に繋がる情報を教えた。 治は成長した祥太と再会し、初めて自分の身代わりではない祥太を愛する気持ちに気づいた。 一方、本物の家族のもとに戻ったりんは、再び苛酷な状況に追い込まれます。 母親は以前と同じように、りんを部屋から閉め出してしまう。 団地の廊下でひとり遊びをしていたりんは、ふと、廊下の外に視線を移す。 映画はそこで終わります。 彼女の目がとらえたものは、いったいなんだったのか。 りんを救い出すためにやってきた治、あるいは亜紀。 そうあってほしいと願う。 タイトルの意味 今回のタイトルは非常にわかりやすいです。 万引きする家族、そのまんまです。 ですが、この作品で描かれる「万引き」には2つの意味があります。 ひとつは、彼らが生活費を補うために日常的に物を盗んでいた「万引き」。 もうひとつは、誰かに捨てられた人間を盗んだという意味での「万引き」。 祥太もりんも、もともとは誰かの大事な家族です。 その誰かが捨てたから、拾ったのだと信代は言います。 そう語る信代自身も、治も、亜紀も、初枝も、捨てられた人間です。 かれらは「万引きする者」であると同時に、「万引きされた者」でもあるわけです。 そういう者同士が集まっているから、「万引き家族」。 当初の仮タイトルは「声に出して呼んで」だったそうですが、わたしは「万引き家族」のほうが好きかな。

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解説・あらすじ

スイミー あらすじ

ミッドセンチュリーの米国グラフィック・アート界の第一人者、 レオ・レオニの名作『スイミー』。 透明感ある絵と、幼い子供にも伝わる海の底の勇気ある物語は、 世界中の子供たちを魅了してきました。 そこに込められた作者 レオニの思想家としての思いを、ご存知でしたか? 価格: ¥1,529 (税込) レオ・レオニ 作・絵 谷川俊太郎 訳 4~8歳向け スイミーは いった。 「ぼくが、めに なろう」 名作『スイミー』のもう一つの読み方 世界中で翻訳され、小学校の教科書にも載り、ビデオも出るなど一般的な認知度も高くて、 もはや幼児向け絵本のリストからは外せない名作となっている『スイミー』。 ミッドセンチュリーにアメリカのグラフィックアート界で名声を確立した、一流アートディレクター、 レオ・レオニの作品(1963)です。 版画の手法を駆使した、透明感あるイラストに懐かしさを覚える方も多いことでしょう。 自分だけが真っ黒で、赤い魚の仲間たちとは違うスイミー。 大きなマグロに仲間がみんな飲み込まれ、自分ひとりが生き延びるという体験をし、海の中を独りで泳ぎ回ります。 様々な発見を経て、やがて自分の仲間と同じ赤い魚たちを見つけたスイミーは、大きなマグロに怯える魚たちを導き、みんなで大きな魚のふりをして泳いでマグロに対抗し、マグロを追いやります。 このことから、 「みんなで力を合わせれば何でもできるんだ」ということがテーマだと受け取られがちな『スイミー』、実は、 作者レオニのメッセージは全く別のところにあるというのです。 哲学者スイミー この『スイミー』を著す直前、作者レオニは 成功の絶頂にあったアメリカでの名声を捨て、故国イタリアへと戻っています。 彼は、自分独りで本格的な芸術活動を開始し、そのなかで次々と絵本を出版し始めるのです。 その頃のレオニの作品は、もはやグラフィックデザイナーというカテゴリに収まるものではなく、 思想家としての表現に達していました。 自らの芸術家としての才能を良く理解しつつ、彼は第2次世界大戦後の世界の中で、 自らが政治的にどういう役割を担えるのかを模索していました。 その 自分自身の姿を、レオニは「スイミー」という、他とは違った色を持った魚になぞらえたのです。 『スイミー』の真相 『スイミー』の中で、最も多くのページを割かれているのは、スイミーがたった独りで海の中をさまよい、自分とは違う種の生き物たちに出会い、発見をするくだりです。 その体験の後、スイミーは魚の仲間たちと出会い、彼らを率先して大きなマグロを追い払うのですが、実はこの物語、 スイミーの自己発見と自己実現、という深いテーマがあるのです。 レオニの芸術家としての生き方、それはスイミーが仲間を先導するときの言葉、 「ぼくが、目に なろう」 に集約されています。 レオニは、 人にはそれぞれの個性と役割があるということ、そして、芸術家として他の者が見えないものを見ることのできる人間がいるということを伝えたかったのです。 お子さんとこの『スイミー』を読むとき、お子さんの得るものが「みんなで力を合わせよう」というメッセージでもまったく構わないと思います。 一方で、 実はこういった深い生き方の哲学も込められているということを、大人の私たちが味わうのもいいかもしれません。 子供も大人もそれぞれに何かを感じ取ることのできる作品であることが、名作と呼ばれるゆえんだと実感させられる、魅力的な絵本です。 amazon. amazon.

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スイミー/レオ・レオニ 作・谷川俊太郎 訳(好学社)【絵本レビュー】

スイミー あらすじ

十円やすは小学2年生の頃から毎日、日記をつけていました。 担任の 先生に日記を見せていましたが、ある日 先生から、「日記は人に見せるものではないから、 先生にも見せなくていいよ。 その代わり、本当のことを書きなさい」と言われました。 その日から 十円やすは、いいことばかりではなく、失敗したこと、間違ったことを全てちゃんと書くことにしました。 学校から帰ると お母さんが勝手に 十円やすの机の引き出しの中から日記を取り出して見ていました。 誰にも見せないから、恥ずかしくても本当のことを書いていた 十円やすは悔しくなって、 お母さんが読んだらびっくりするようなことを書こうと思い立ちました。 明日の日記に、トイレに大きなヘビが現れたと書いたところ、翌日、日記に書いたことが本当になり、トイレにヘビが現れました。 その日の夜も明日の日記に、 お母さんがえんぴつの天ぷらを作り、お父さんがそれをおいしいと言って食べたと書くと、それも本当になってしまいました。 何を書いても全て本当になってしまうので、 十円やすの日記はどんどんエスカレートしていきました。 とうとう「明日の天気は、晴れ時々ブタが降る」と書き、日記に書いた通りブタが空から降ってきました。 町中がブタで溢れ、恐怖を感じた 十円やすは急いで今まで書いた日記を全て消しゴムで消しました。 するとブタは全て消え町中の人もブタのことなど忘れ、何事もなかったかのように普通の日常生活に戻りました。

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