ヒロシ です ネタ。 【ヒロシ「あるある」のつもりだった「自虐ネタ」】

ヒロシのネタ集w

ヒロシ です ネタ

父は炭鉱マンでした。 本名の「健一」は、「健康第一」という願いを込めてつけられたもので、 弟・康次(診療放射線技師をしている)と一字ずつとって合わせると 「健康」となるとのことです。 ヒロシさんが小学生の頃、漫才ブームの真っただ中で、 特に好きだったのがツービートの漫才だったそうです。 小学生の時、家族に頼み込んで「なんばグランド花月」に行き、 初めて生のお笑いライブを観劇。 その中でひときわ面白かったのが、全国区になる前のダウンタウンで、 「お笑いで頑張ればこんなにモテるんだな」と衝撃を受けたそうです。 小学生時代のヒロシは暗くいじめられっ子で、 担任教師にさえ嫌われていたそうです。 中学は地元の荒尾市立荒尾第三中学校に進学。 熊本県立荒尾高等学校から指定校推薦で九州産業大学商学部商学科に進学。 就職活動で大阪府や福岡県などの企業を数社受けたが全滅。 両親が知人の伝手で保険会社に就職させ損害保険の営業の仕事に就くも、 極度に人見知りの性格であったため営業の仕事が務まらなかったそうです。 23歳のとき、再び「激辛!? お笑いめんたい子」のオーディションに挑戦。 1人で出場し、中森明菜や近藤真彦の物真似を披露。 結果は不合格でした。 福岡吉本が「不合格者の中でどうしてもお笑い芸人になりたい人」の募集に ヒロシさんは「もう逃げ道はない」という強い気持ちで応募したそうです。 3年で福岡吉本を辞め、上京。 ネタ見せは福岡吉本の所長がいる中で行われ、 下品で下ネタを含むネタを披露したところ、所長に激しく激怒されたそうです。 元々漫才師を目指していたこともあり、同期に声をかけコンビを組むが、 舞台に1度も上がることなく1か月で解散。 その後、3人組でコントをやり、そこそこ評判が良かったが、短期間で解散。 そして、ツッコミが上手そうだった友納一彦を誘い「ベイビーズ」を結成しました。 ライブではそこそこウケるものの一向に売れる気配がなく、 事務所からの評価も最悪だったことから、 東京で暮らした方が良いのではないかと考えるようになり、 3年間所属した福岡吉本を辞め、 26歳の時に上京。 当時は芸人仲間6人(その中にパラシュート部隊の矢野ぺぺもいた)と 中野区の6畳一間のアパートで共同生活を送っていた。 ホストなるが、生活できず、路上生活を。 ライブへの出演が続いていたある日、相方と一緒に受けたテレビ番組の オーディションにヒロシだけ合格。 それは建設現場のとび職の体験で足場の下に土佐犬が 待っているというものだった。 仕事を終えて帰ると相方と温度差が出来ており、 コンビは解散。 歌舞伎町の小さな店でホストとして働き始めた。 源氏名は「冴神 剣(さえがみ けん)」で、殺し文句は「あなたの心を一刺し」。 指名がほとんどなかった為、給料は月3万円程度で 唯一の休みだった日曜日は、コンビニでアルバイトをしていた。 ホストクラブを辞めようとすると「代わりのホストを探せ」と脅され、 逃げようとすると1日6万円で借用書を書かされ、取り立てに来られた。 ホスト時代にはホームレスになってしまった。 贅沢が性に合わず風俗で散財。 心身ともに限界に達し、 2003年の荒尾市の実家に帰った。 それから 2か月間、実家に引きこもり、ひたすら大学ノートにネタを書き溜めた。 幼い頃いじめられた経験、女性にモテなかった青春時代、 ホストとしてお笑いが出来なかった悔しさなど様々な思いをネタにぶつけた。 そのとき生まれたのが「ヒロシです」のネタであった。 「ヒロシ」という芸名は、フリーアナウンサーの生島ヒロシに由来する。 たまたま家にあった雑誌の表紙に生島が写っており、 「親しみやすい名前」だと思って採用したそうだ。 早く「ヒロシです」のネタを広めたいと思い、多くのライブに出演した。 数人だけが極端に笑うという状況が続き不安になったが、 「間違ってないんだから、そのままでいい」と助言され、 路線を変えずにネタを続けた。 早朝に起きてネタを作り、オーディションを多数受け、 月20本のライブ出演をこなし、深夜アルバイトをこなすという生活を送る。 サンミュージックプロダクションから声をかけられ、 初めて正式に芸能事務所に所属した。 それから間もなく「 エンタの神様」に出演。 (キャッチコピーは「孤独な男のモノローグ」) 2004年、三宅裕司と同郷のくりぃむしちゅーが司会を務める 「笑いの金メダル」に出演。 当初は1回出演するだけの予定だったが、その後何度か出演し、 ブレイクのきっかけとなった。 あっぱれ!! さんま大教授」に美輪明宏の今一番気になる人としてゲスト出演した。 美輪からは「誰にでも思い当たるようなことをネタにするセンスと、 照明やポーズを含めた自己演出に秀でている。 すごく頭がいい芸人」 と称賛された。 「笑いの金メダル」に出演してから3、4か月たった頃、給料が30万円振り込まれ、 初めて売れた実感を得た。 2005年の『R-1ぐらんぷり』では、前回に引き続き2回目の決勝進出を果たした。 決勝戦では、結果は6位だった。 2005年の『第1回お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル』で 見事初代王者となり200万円と車を獲得した。 絶頂期は月収1000〜3000万円が1年ほど続き、最高月収は4000万円だった。 炭鉱街出身だった為、贅沢が性に合わず、 贅沢は3万円のアパートから家賃48万円の家に引っ越し、 高級車ジャガーを購入したくらいで、 その他の稼ぎは全て風俗への利用につぎ込んだそうです。 番組側が用意した「ヒロシです」のネタを披露するように言われたが 自分の人生経験から生まれたこだわりのあるネタであったためそれを拒否したり、 大して面白い話も出来ないのに出演料を貰うのは申し訳ないと いう意味から「もうひな壇には出たくない」と発言したが、 人見知りからくるコミュニケーション不足で、誤解を招いてしまった。 さらに 極度のあがり症だった点もヒロシさんを追い詰めた。 テレビ番組の収録ある時には、吐き気がして前日から眠れず、 テレビ局に近づくと体が震え出した。 楽屋で有名タレントに会っても緊張して話せず、収録中は意識が朦朧として、 共演者が何を言っているのか、半分以上理解できない状況が続いた。 ブレイクから約5年後、精神的に限界を感じ、事務所に「もうテレビに出ません」と 伝え、露出が極端に減り、自分から断ったとはいえ仕事が減っていった。 ただ、貯金や営業、インターネットテレビ番組への出演などで 生活できる程度のお金はあった。 沖縄県に旅行に行ったり、釣りにはまったり、 寂しさを紛らわすためにガーデニングを始めるなど、 本人曰く「早めの老後のような生活」を送っていた。 2009年11月、古巣の「エンタの神様」に久々に自虐ネタで笑いを取り、 復活かと話題になったが、番組自体が2010年に終了。 生命の危険を感じ病院の精神科を受診したところ、 パニック障害と診断された。 医師からは「趣味を見つけなさい」と助言された。 抵抗があった薬物治療も受けた。 そんなとき事務所からマネージャー佐方麻緒を紹介され、 佐方に「ライブ、やったほうがいいですよ」と助言された。 しばらくは、気力がなかったため断っていたが、 会うたびに誘ってくれ、少しずつ気力を取り戻していった。 2010年11月、「森田一義アワー 笑っていいとも! 」のコーナー 「笑いニートを救え! ギャグマーケット」に出演。 テレビに出ていない間に考えた「ヒロシです」のネタを披露したところ、 ライブに来ていた出版社スタッフにネタ本の出版を持ち掛けられた。 2011年5月に東邦出版より「ヒロシです。 華も嵐ものり越えて」を発表。 このネタ本の影響か大きな仕事の依頼が次々に舞い込んだ。 2015年6月、バラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!! 」に出演。 「極度の人見知りなのに芸能界に入ってしまった先生」として登場し、 2004年から2005年のブレイクから仕事を失い、今に至るまでの話を語った。 番組の評判は良く、トークの面白さを評価する声がヒロシさんに届いた。 BSの旅番組) 現在はゆるい感じではあるものの、テレビのお笑い番組などにも 出演し続けています。 ネタ自体が短いので、ほとんどテレビへの露出はないと言っても 過言ではないほどですが、雑誌の取材を受けたり、 地方のローカルCMの仕事も受けたりしています。 また、 昨年からBS朝日「迷宮グルメ異郷の駅前食堂 ヒロシです…放浪の旅」に 出演しています。 YouTuberとしても活動され、『ヒロシちゃんねる』と『ヒロシゲームズ』 という2つのチャンネルを作っています。 特に 『ヒロシちゃんねる』は、 キャンプや釣りなどのアウトドアと山が大好きなヒロシさんの番組で、 自虐ネタを披露している時からは考えられないほど生き生きとした表情で、 更新は不定期ですが、キャンプでの様子や情報を配信しています。 動画は2015年頃から投稿が始まっており、再生回数も50万回近く 人気チャンネルになってます。 ゆるい感じではあるものの、自分の好きなことを自分の好きなペースで楽しみながら仕事にもしているあたりがヒロシさんらしいです。 ということで、現在もゆる~い感じでヒロシさんは頑張り続けているようです。 最後までお読みいただきありがとうございました。

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【お笑いネタ】ヒロシ ネタ大まとめ|マジ笑!本気で笑える厳選お笑い芸人ネタまとめ

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原点は「あるある」ですね。 もともと僕って漫才スタイルだったんです、コンビを組んでて。 でもコンビ時代から、一言で笑いのとれるあるあるネタに興味がありました。 なんとなく気になっていた。 それでコンビが解散することになって一人になったとき、やってみよう!と。 そうなんです、今は「自虐ネタ」と呼ばれていますが、僕としては「あるあるネタ」だったんですね。 始めたときは共感を得るものだと思っていたんです。 最初は「キャバ嬢ってコンビニでカゴ一杯買い物をする」とか、そんなネタにもならないようなものを一杯書いていました。 彼女達ってコンビニで値段見ないでどんどん買うじゃないですか。 当時お金が全然なかった僕はその光景が衝撃的で。 それでレジでその後ろですごく待たされるという。 結局そうやって思いつくものを書いてみたら、出てくるのは愚痴と女の人の悪口ばかり。 いつここの山田さんが背中を押してくれた 僕もこれはいけないと思って、仲が良かった、いつここ(いつもここから)の山田さんにノートを見せたんです。 「こんなモノだめですよね?」と言って。 そしたら「いいじゃない」と背中を押してくれて、そこから固まりましたね。 ネタ初めの「ヒロシです」、これ自体にあまり意味はなかったんです。 僕としてはただの「ブリッジ」のつもりでした。 ブリッジを入れてネタ、ブリッジを入れてネタを言う感じにしよう、というのが漠然と頭の中にありました。 それは、いつここさんやふかわさんが入れていたからですね。 じゃあ僕は何を入れようかと思って、名前にしたら面白いなと思いなと。 「ヒロシ」にしたのは親しみやすそうだから、というのが理由です。 生島ヒロシさんから拝借しました。 そうやってネタを作りはじめて1年も経たないうちに、あれよあれよとTVに出させていただけるようになりました。

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ヒロシ

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ヒロシ 黒木)きょうのゲストは芸人兼ソロキャンプYouTuberのヒロシさんです。 ネタにしていらっしゃる「ヒロシです」は、どういうところから思いついたのですか? ヒロシ)僕の場合は自虐ネタが多いではないですか。 最初は「あるあるネタ」に憧れていたのですよ。 「あー、あるある」ということを一言で言うネタですが、それに憧れてノートに書いていたのです。 ある程度書いて、改めて読んだら、人の悪口とか、自分のダメなところを書いているという、人から共感されない文章だったのですよ。 それを「いつもここから」という芸人さんに見せたら、「これはこれで面白いんじゃない?」と言われて、そこからスタートしたのが「ヒロシです」なのです。 女の人から不遇な扱いを受けることが多かったので、それをズラズラ書いていたのですよ。 黒木)ええ? でもモテたでしょう? ヒロシ)これがモテないから、お笑い芸人になったのですよ。 黒木)それはお書きになった著書の『ひとりで生きていく』にも書いてありましたけれど。 ヒロシ)よく「モテるでしょう」と言われるのですが、モテないのですよ。 そういう感じの男です。 黒木)なぜ、モテないのですか? ヒロシ)知らないですよ! 俺が聞きたいよ! 実際、若いときに聞いたことがありますけれどね。 「何で俺じゃダメなんだ」と。 黒木)そうしたら? ヒロシ)「面白くないから」とか、そのときそのときで傷つくことを言われました。 女の人とデートの約束をするではないですか。 そうすると、まず、来ないのですよ。 僕と一旦約束するけれども、前日くらいに僕よりもイケてる男に「遊ぼうよ」と誘われて、そちらに行くというパターンですね。 黒木)いや、それは約束を破るのはよくないから。 ヒロシ)よくないでしょう。 よくないけれど、それが現実なのですよ。 それをネタに書いていたのです。 黒木)でも、ネタにできてよかったですね。 ヒロシ)当時はそういう嫌な思いをメモっていました。 その若いときの嫌な思いをお金に換えましたね。 黒木)それで私も笑わせていただきました。 『ひとりで生きていく』にもありますが、いろいろな種を撒いておくのだと。 すべてを同じように育てるのではなくて、芽が出たらそれを育てる。 そうすればそれが自分の生きる道につながるということですが、子供のころからそういう考え方だったのですか? ヒロシ)「たくさんやっておいた方が得ではないか」と思いはじめたのは、ここ10年くらいですね。 黒木)世の中には「1人で生きて行きたい」と思う方も、たくさんいらっしゃると思いますか? ヒロシ)1人で生きて行かざるを得ない人がけっこういるのですよ。 社交性もなくて。 でもそういう人は大きな帆を立てておくと、1人でも充実した日々を送れるのです。 黒木)「1人で生きる、それは旅をするように日々生きるということ」という、素晴らしい名言が書かれています。 ヒロシ)旅でもそうですが、物事を「キメ、キメ、キメ」というのが嫌なのですよ。 海外に行っても事前にガイドブックなりで調べておいて行くのではなく、自分の足で歩いて、店を探して食べたりします。 観光名所には興味がないのですよ。 まあ、わがままですよね。 黒木)でも、それは素敵なわがままではないですか。 ヒロシ)1人だからわがままにならないけれど、グループでパリに行って、俺だけエッフェル塔に行かないと言い出したら、わがままになるではないですか。 それで僕は、1人がいちばん動きやすくていいのではないかなと思うのです。 黒木)でも1人の人だけではなくて、我々も生きているということは、旅をするように日々を過ごしているということだろうなと思って、とてもロマンを感じました。 ヒロシ)いま話しながら思いましたが、僕は1人で旅をするように生きようと思ったのですが、ご結婚している方もそうですよね。 黒木)みんなそうです。 ヒロシ)だから、いくら計画を立てても計画通りにはならないではないですか。 結局、みんな人生の旅人なのですよ。 熊本県出身。 九州産業大学卒業。 」のフレーズで始まるネタでブレイク。 現在はカフェを経営しながら、お笑いライブなどの活動を続けている。 ソロキャンプYouTuberとして人気を博し、2019年9月には関東近郊の山を購入した。 9〜君も好きなことだけして生きていける〜』、2019年には廣済堂出版から著書『ひとりで生きていく』を発売。

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