川田 利明 ラーメン 屋。 ラーメン店10年続けた川田利明「料理が得意なのとビジネスは全く違う」

川田利明の現在 プロレス引退とラーメン屋 結婚と嫁 三沢光晴との友情

川田 利明 ラーメン 屋

私は一時期小規模ですが外食チェーンの本部で働いていたことがあります。 なのでそれなりに外食の難しさを知っているつもりです。 店舗を経営するのにどれくらいのコストがかかって、どんなふうに利益を積み上げて、その結果どれくらいで採算がとれるのか。 当たり前ですけど外食の利益って本当に1食で得られる小さな利ざやの積み上げなんです。 ですから私には想像がつきます、個人で飲食店を10年続けることがどれほど大変か。 --- 私にとって全日本プロレスの川田利明は特別な選手です。 観戦して泣くほど感動したのは一回や二回ではありません。 特に92年の年間最高試合を獲得したハンセンとの三冠ヘビー級選手権は忘れられません。 パワーでも体格でも圧倒的に劣る川田が真正面からハンセンに挑んで行く姿は今でも鮮明に瞼の奥深く刻まれています。 三沢、田上、小橋らと築き上げた全日本プロレスの黄金期には何度となく揺れる武道館(比喩ではなく、興奮したファンが床を踏み鳴らすために実際に揺れるんです!)で興奮の時をすごさせて貰いました。 その敬愛するプロレスラー川田利明がラーメン屋を開くと聞いたときには、嫌な予感しかしませんでした。 私は以前同じくプロレスラー永源遙が経営する「永源ラーメン」に足を運んだことがありますが、不味いラーメン、やる気の感じられない接客、不潔な店内、そして本人はいない、と褒めるところがひとつもない酷い店でした。 今思えば典型的な名前貸しの店だったのだと思います。 ところが蓋を開けてみれば店主の川田さんはちゃんと自分でラーメンを作ってるし、ラーメンの評判もいい。 気がつけば自分の外食時代の経験ではとても不利な条件だと思われた場所でも淡々と営業を続けている。 元々川田利明という人は要所要所でわざわざとんでもない試練の道を選択する人だけど、一方でいつも粘り強く取り組んでいつの間にか克服してしまう人という印象もあったので、きっとラーメン屋もなんだかんだで器用にこなしてしまうんだなあ、大したものだなあと遠巻きにですが感心していました。 ですが先ごろ出版されたを読むと、まあやはりというか、苦労したんですねえ、当たり前ですが。 昨年AbemaTVの「偉大なる創業者バカ一代」という番組に川田さんがゲスト出演された回を見て、普通に店舗経営者の頭になっていて驚きました。 これはその時の私のツイートです。 でもこの本を読んで納得しました。 これだけ苦労していれば当然です。 私の少ない外食業界での経験に照らしあわせても、やっちゃいけないことのオンパレードでなんですから。 しかし川田さんの凄い所は、それらの問題を自分のやり方で解決しているところです。 本書では川田さんがラーメン店経営の様々な問題点をまとめ、その解決法を開陳している もちろん我慢して凌ぎ切っただけという逸話も多数存在しますが… のですが、その解決法は川田さんのやり方であって他の人が同じやり方でうまく行くとは思えません。 むしろプロレスラーの体力と、知名度、資金力、ちゃんこを作り続けた経験があって初めて乗り越えられたことがよくわかります。 体力でも知名度でも劣る一般人で、しかも資金も経験も十分でないのならば到底マネはできないのです。 川田さんはそれをわかっているからこそ読者に「ラーメン屋にはなるな」と説いています。 私も一度だけ麺ジャラスKにラーメンを食べに行ったことがあります。 ランチタイムの開店と同時に店内に入ると普通に川田さんが厨房に入ってました 畏れ多くて声もかけられず!。 注意書きがこれでもかと貼られた券売機、手作り感に満ちた店内の調度品、それに対して不釣り合いなほど完成度の高いカレー白湯ラ〜メン。 今本書を読み終わってみれば、川田さんの独自の営業努力がそのまま強い個性となって現れているお店でした。 店を訪れれば、本書の内容が大げさでもなんでもないことがわかります。 ラーメン屋を個人で立ち上げることを考えて本書を手にされた方は、一度麺ジャラスKに足を運んでみるべきだと思います。 この程度のお店か、と思われるかもしれない。 でもその程度のお店を経営するだけで、これだけの苦労が必要だということを本書は教えてくれるはずです。 正式な本のタイトルは、 "開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学" たかが10年、されど10年です。

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【プロレス】川田利明さん明かす「俺のラーメン店はなぜこんなにルールが多いのか」 すべてはお客さんのため

川田 利明 ラーメン 屋

プロフィール 名前:川田 利明(かわだ としあき) 本名:川田 利明(かわだ としあき) 生年月日:1963年12月8日(54歳) 出身地:栃木県 身長:183cm 血液型:O型 所属:無所属 ・1982年:プロレスラーになる。 ・1994年:チャンピオンカーニバルで優勝する。 ・1997年:三冠ヘビー級王座を獲得する。 ・2005年:ハッスルに参加する。 ・2010年:プロレスラーとしての活動を休止する。 川田利明の現在のラーメン収入と病気の状態や今の嫁がヤバイ!? 川田利明さんはプロレスラーとして活躍し、タレントとしても活動していますよね。 川田さんは「名勝負製造機」とも言われて大人気でした。 そんな川田さんなのですが、現在のラーメン屋の収入と病気の状態や今のお嫁さんが話題になっているそうです。 では、川田さんの現在のラーメン収入と病気の状態や今のお嫁さんとは、一体、どのようなものなのでしょうか。 そこで調べてみると、川田さんは現在ラーメン屋を経営しているのですが、病気などを患っているとも言われているそうです。 川田さんは長年、プロレスラーとして活動していたものの、2010年頃にプロレスラーとしての活動を休止しているのだとか。 なので、川田さんの引退時期は2010年頃と言えそうなのですが、川田さんの引退理由は居酒屋の経営や病気の治療によってリングに立つことができない状態が続いていたからと言われているそうです。 ちなみに、川田さんは、まだ正式に引退したわけじゃないものの、長らくリングに上がっていないのでプロレスをするにも体がかなり衰えてしまって、体を以前のように戻すことも難しいので現在も活動休止状態であることも明かしているのだとか。 スポンサーリンク また、川田さんの引退は2009年に亡くなった三沢光晴さんの死が影響しているとも言われているそうです。 三沢さんはプロレスの試合中に事故で亡くなってしまったのですが、高校生の頃から一緒にレスリングをし、若い頃からプロレスラーとして一緒に活動してきた三沢さんの死は川田さんにとってかなり大きなものだったようですね。 また、そんな川田さんなのですが、現役時代からものが二重に見えたりしていて片目が見えないようになり、さらに首を怪我してしまっていたのだそうです。 さらに、他にも生活習慣病なども抱えているとも言われていて、満身創痍だったのだとか。 なので、川田さんは現在も様々な病気を患っているので薬なども多く飲み、通院しているとも噂されているそうです。 そうしたこともあって川田さんは引退を決めたとも言われているのですが、復帰時期についても未定と言えそうなのだとか。 スポンサーリンク また、そんな川田さんなのですが、現在は「麺ジャラスK」というラーメン屋を経営しているのだそうです。 麺ジャラスは本日30日が今年最後の営業日です 今年も1年間ありがとうございました 年明けの営業始めはツイッターにてお知らせいたします 来年もよろしくお願いいたします どうぞ良いお年をお迎えください — 麺ジャラスK 店長 orenooudou 川田さんのお店の場所は東京世田谷区にあるそうなのですが、週末はもちろん、平日からかなり賑わっているということでかなり繁盛しているのだとか。 ラーメン屋としての収入ははっきりとわからないものの、現在の川田さんの年収はかなりのものとも言われているそうです。 川田さんのプロレスラー時代の年収は一千万円ほどと言われているそうなのですが、現在はさすがにそれよりは低いとも言われているものの数百万円の年収の可能性が高いのだとか。 スポンサーリンク また、川田さんはかつて居酒屋を経営していて、そこから中華料理店で修行してラーメン屋を開業したそうなのですが、川田さんに飲食店経営は性に合っているということで、今後もラーメン屋として活動していきそうですね。 また、そんな川田さんは結婚をしていて、お嫁さんとお子さんもいるのだとか。 お嫁さんとの馴れ初めははっきりとしていないのですが、奥さんは現在も妻としてラーメン屋を手伝うなどしていて夫婦仲も良いようです。 お嫁さんの画像は公開されていないので顔などははっきりとしないのですが、川田さんの現在のラーメン屋収入と病気の状態や今のお嫁さんがヤバイですよね。 このように川田さんはプロレスラーとして第二の人生を歩んでいると言えるのですが、今後もラーメン屋として大活躍していきそうです。 スポンサーリンク 川田利明の歯が抜けた理由や三沢光晴との確執など驚きの過去とは!? 川田利明さんは現在はラーメン屋として働いていることが注目されていますよね。 プロレスラー時代とは違った姿が大きく注目されているのですが、そんな川田さんの歯が抜けた理由や三沢光晴さんとの確執などの過去について注目が集まっているそうです。 では、川田さんの歯が抜けた理由や三沢さんとの確執などの過去とは、一体、どのようなものなのでしょうか。 そこで調べてみると、川田さんはプロレスの試合で歯が抜けてしまい、三沢さんと確執を抱えていたと言われているそうです。 川田さんは「俺だけの王道」という著作の中で歯が抜けてしまった理由を明かしていて、試合中に顔を蹴られた時に歯が折れてしまったと明かしているのだとか。 また、この他にも川田さんはドロップキックをされてしまい、その時にも歯が折れてしまったのだそうです。 なので、数回に渡って歯が折れたり、抜けたりしているのだとか。 差し歯にしていたものの試合中に抜けてしまうこともあるとのことで、歯が入っていない時もあって川田さんには歯がないイメージがついてしまったそうです。 スポンサーリンク このように川田さんの歯が抜けた理由はプロレスのせいと言えるのですが、川田さんに限らずプロレスラーや格闘家の中には歯が抜けてしまう人も多いですよね。 なので、こればかりはどうしても仕方がないことのようです。 また、そんな川田さんなのですが、三沢光晴さんとも確執を抱えていたと言われているのだとか。 川田さんと三沢さんは高校の先輩後輩で、二人共、全日本プロレスでプロレスラーとしてデビューして活躍し、1997年には川田さんが三沢さんをシングルマッチで下し、1998年には三沢さんから三冠ベルトを奪取しているのだそうです。 全日本プロレスでもエースレスラーとして活躍していた三沢さんとほぼ同等の実力を持っていると言われるようになった川田さんなのですが、三沢さんを筆頭に全日本プロレスから大量に選手が離脱し、全日本プロレスには3人しか選手が残らないことが起きてしまったのだとか。 スポンサーリンク その後、川田さんはフリーになり、三沢さんはプロレスリングノアを立ち上げたりしたのですが、その後、2005年に川田さんと三沢さんのシングルマッチが行われたのだそうです。 久しぶりの二人の対戦はかなり白熱し、最終的に三沢さんが勝利したのですが、川田さんは試合後にマイクを握り 「三沢さん、あえて握手はしません。 ずるい話かもしれないけど、今日打つはずだった終止符が打てなくなりました。 三沢光晴はいつまでも、オレの1つ上の先輩の力を持っていてください」 と発言したのだとか。 こうした川田さんの発言は三沢さんとの再戦をほのめかしたものとも言われていたのですが、勝手にこうした発言をした川田さんに三沢さんやノア側が怒ってしまい、そこから確執が生まれてしまったと言われているそうです。 スポンサーリンク なので、そこから三沢さんが亡くなるまで確執があったとされているのですが、川田さんの歯が抜けた理由や三沢さんとの確執など驚きの過去ですよね。 ただ、そのように確執を抱えていたものの、三沢さんが亡くなった時には川田さんも追悼興行に参加し、三沢さんについて 「今までのナンバーワンパートナー」 と語るなどしていたのだそうです。 なので、川田さんにとって三沢さんはいつまでも大きな存在だったようですね。 現在はラーメン屋を経営していて、お嫁さんや病気の事が注目された川田さんなのですが、歯が抜けた理由や三沢さんとの確執なども注目されていて、今後もそんな川田さんに注目していきたいですね。 スポンサーリンク.

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麺ジャラスK (メンジャラスケー)

川田 利明 ラーメン 屋

「ラーメン屋だけは絶対にやるな!」 常に厳しさと激しさを前面に押し出したその試合っぷりから、現役時代のあだ名は 「デンジャラスK」。 そして現在はラーメン屋 「麺ジャラスK」を経営する、 川田利明さんに今回はお話をうかがいました。 1982年にレスリング部の先輩である 三沢光晴さんが既に入団していた 全日本プロレスに入り、 天龍源一郎さん率いる「レボリューション」に参加。 全国どこででも激しいハードな試合を見せ、選手としての評価を高めていきました。 その後、三沢さんらと「超世代軍」を結成。 さらに田上明さんと「聖鬼軍」を組み、それに小橋建太さんを加えた「四天王プロレス」の時代に突入します。 パワーボムやストレッチプラム、さまざまな蹴り技と強靭な肉体を武器に、90年代プロレスの炎を燃やし続けた川田さん。 1998年の全日本初のドーム大会では、三沢さんが持つ三冠ベルトに挑戦。 見事奪取して、三沢戦初勝利を奪うと共にドームのメインイベントを締めました。 その後、全日本プロレスの分裂騒動のなか、所属選手として全日本に残り、新日本プロレスやZERO-ONEとの対抗戦の最前線に立ち続け、フリーになった後には三沢さん率いるプロレスリング・ノアにも参戦しました。 そして2010年にラーメン店「麺ジャラスK」を開店。 選手としては長期休養状態に入りましたが、プロデュース興行「Holy War」を定期開催するなど、プロレス界とはまだまだ近い距離にいます。 昨年には、自らのラーメン店経営についての単行本 『開業から3年以内に8割が潰れるラーメン屋を失敗を重ねながら10年も続けてきたプロレスラーが伝える「してはいけない」逆説ビジネス学』(ワニブックス)を発売。 現役時代に購入したベンツを売り払ってまで続けた数々の失敗談や、「ラーメン屋だけは絶対にやるな!」と明け透けに書いた内容が話題になりました。 作者:• メディア: 単行本(ソフトカバー) 小さい頃から独創的なものを作りたいタイプだった 今回の取材場所はもちろん「麺ジャラスK」。 自慢のラーメンと唐揚げをいただく前に、レスラーとしての半生をめしを通してうかがってみます。 川田:子供の頃かあ…… お母さんが天ぷらが上手でね。 料理上手だったんですよ。 それを見て育ったからか、なんか 自分でひと工夫したくなるんですよね。 白いご飯にしょうゆと七味唐辛子、うま味調味料を少しかけて食べるのも好きでした。 そこに卵を入れてみても美味しいし。 もともと学校の図工なんかも、教えられたものだけじゃなくて、自分の考えを入れたいタイプなんですよ。 人に 「これ、凄いじゃん」って言われるような、独創的なものを作りたいんですよね。 川田:レスリング部に入ったんですけど、 1年生が寮に俺ひとりしかいなかったんです。 先輩に三沢さんたちがいた頃は、地元で国体があるっていうんで、選手たちを寮に入れて強化しなきゃいけない。 そこに雑用係がいないからってことで、自分が入れられたんですよ。 朝早く起きて朝練が終わってから朝食を作って、夕方の練習が終わったら買い出しに行って、それから夕食を作って。 その時は料理に工夫なんてしてる余裕はなかったですね。 練習がキツすぎて、そんなことを考えている暇はないですよ! 頑張って作っても「美味いね」と褒められることすらなくて、言われるとしても「早く作れ!」くらいだもん。 プロレス界に入ってからも同じようなことの繰り返しでしたね。 天龍さんを驚かせた「カレーちゃんこ」 そう当時を振り返ってボヤきつつも、川田さんはインターハイ準優勝、国体優勝などの実績を引っさげて 全日本プロレスに入団。 しかし、当然そこでも新弟子生活となります。 当時の食事の基本はちゃんこ鍋ですか? 川田:そうです。 最初は 「ソップ炊き」って言って、ちょっと甘じょっぱい醤油のやつと、 水炊きはタレに青のりと黄身とかつおぶしを混ぜたやつをよく作ってましたね。 途中から キムチちゃんこも出るようになって、あとは豚肉をポン酢で食べるやつとか。 全日本の場合はポン酢に酢は使わないで、市販のレモン果汁を使うんですよ。 川田:いま思えばそこまでうるさい先輩もいなかったのかな……あっ、でも張り切って料理やるのが グレート小鹿さん! あの人はうるさかった(笑)。 自分でイワシを買ってきて、つみれとかを作らされてね。 面倒でしょうがない。 しかも地方の旅館なんかで「鍋作るぞ!」って言ってくるんですよ。 川田:泊まる旅館でめしが出るんだから、普通に旅館のめしを食えばいいじゃないですか? それを小鹿さんが「今日は鍋やるぞーっ」て言って、 結局俺らにやらせるんですよ(苦笑)。 先輩たちが飲んでいる間は、給仕しなきゃいけないからその場所から離れられないし、皆遅くまで飲んでいるから、全部終わってから洗濯もしなきゃいけない。 ほんと地獄でしたよ……。 川田:コンビニもないし、夜遅くまでやっているスーパーとかもないし。 あとコインランドリーもないから、旅館の時は最後の最後に洗濯して、旅館のボイラー室に干しに行くことになって。 そういう場所じゃないと乾かないんですよ……。 せっかく風呂で汗を流しても、 ボイラー室で汗びしょびしょになっちゃうんですよね。 川田:でも去年かな、ひさしぶりに会った時、当時のイメージと比べてコロっと変わって優しさを感じたね(笑)。 3年くらい経ったら「こういうの作ってみたらどうかな?」って考えるようになってきて。 特に評判良かったのは カレーちゃんこ。 当時としては珍しかったんじゃないかな? あれは絶対、食欲が沸くメニューだったはずなので。 川田:天龍さんは最初見たとき「いつもの鍋と違って 豆腐が黄色いから、俺の目がおかしくなったのかと思ったよ!」って言ってたけどね(笑)。 地方に行っても、地元の人と食べたりする機会もあまりなかったんですよね。 馬場さんは試合が終わったら、ホテルのレストランが開いてる時間に間に合うように戻って、普通に夜ご飯を食べていましたね。 そういう食事を繰り返していたせいか、ある日突然マクドナルドの フィレオフィッシュにハマったりしてね(笑)。 川田:馬場さんはその後、 焼肉にハマったんですよね。 馬場さんが肉を食べるっていうと、それまでは ホテルのステーキしか食べなかったのに、ある日を境に毎日のように焼肉屋さんですよ。 いっぱい頼んで残ったものを食べさせられるから、京平さん(和田京平レフェリー)とかすぐに太っちゃって。 川田:その頃の付き人は志賀賢太郎だったんじゃないかな。 馬場さんも 「焼肉は焼けば脂が落ちるから身体に悪くないんだ!」みたいな話を聞いてから通い出したんです。 それで志賀に 「お前はガリガリだから太んなきゃダメだ、もっと食え!」って言ったら、志賀が「じゃあ、 もやしスープください」って言って 「バカヤロウ、もやしなんかで太れるか!」って馬場さんに怒られたっていう話もありましたね(笑)。 川田:三沢さんも酔っ払った時はヤンチャでしたねえ。 飲んだ席でファンが「技、かけてください」なんて言ってくるじゃない? あの人は エルボーとか蹴りとか、素人でも本気で入れちゃうから(笑)。 でも、三沢さんの場合はまわりがいろいろ救ってくれるんですよね。 川田:でも三沢さんって、最初は酒一滴も飲めなかった人ですから。 飲んで吐いてを繰り返してるうちに、いつのまにか強くなってましたね。 俺が合宿所に最初にきた日なんて、冬木さん(冬木弘道)に「お前はここの部屋だ」って案内されたのが三沢さんと同じ部屋だったんだけど、入ったらそこに ゲロまみれの三沢さんがいきなりぶっ倒れているんですから(笑)。 おれは酔ってもあまり変わらないんですよ。 酔うよりも楽しくなりたい方だから。 プロレス団体「レボリューション」でずっと一緒だった天龍さんとは、やっぱりお酒を飲む機会が多かったのでは。 川田:いやあ、天龍さんはお酒が強いイメージだけど、 ホントはそんなに強い人じゃないからね! みんな勘違いしているけど、天龍さんは力士時代にはそんなにお酒を飲んでないんですから。 川田:あとで飲めるようになったんだろうけど、飲みの席で自分よりもみんなに飲ませてるから、酒が強いっていうイメージがついちゃったんだよ。 朝までさんざん飲まされるってのは「レボリューション」になってからですか。 川田:天龍さんは とにかく飲み会が長いんですよ! 試合が終わってから朝まで飲むなんてのは当たり前で、ホテルに帰ってきたらもう出発する準備をしなきゃいけないから寝られないし。 俺はバスでは眠れないタイプなんですよ。 だからすごい困っていました。 川田:その頃は毎日のように6人タッグでメインに出て、練習もしっかりしてたし、身体は疲れ切ってるけど寝る暇もない! 酒は朝まで飲まなきゃいけない! そんな毎日だから、そりゃもうキツかったですよ。 だから「飲めないってやつは仕方ない」って、天龍さんも飲ませなかっんです。 川田:それを考えると、おれの付き人をやってた井上雅央は一滴も飲めなくて、石狩太一(現タイチ)も一滴も飲めなかった。 それが今ふたりとも酒を飲んでるっていうんだから……「ナンダコノヤロー!」って思うよね(笑)。 飲めるって言っちゃうと飲まされるのがわかってるから、ずっとおれに隠してたんじゃないかと……腹立つなー!(笑) 新幹線でも飲み続けるハッスル軍団 全日本退団後、それまでとは違ったファイトが印象的だったのがプロレス団体「ハッスル」での試合。 インリン様やレイザーラモンHG・RGといった芸能界出身の選手と戦ったかと思えば、小川直也・TAJIRIといったトップレスラーとも熱戦を見せるなど、これまでとは違った一面を見せました。 川田:ハッスルの頃は、試合がある日は 高田さんと毎日のように飲んでいましたね! 高田さんは最初は楽しい酒なんだけど、結局飲みすぎちゃってわけわかんなくなっちゃうんだよね(笑)。 川田:試合が終わって、かあたりから品川まで新幹線のグリーン車で帰ったことがあるんだけど、その間ずーっと飲んでるんですよ。 そのうち他の連中も酔っ払ってきて、そのグリーン車にいたのが、ハッスルの俺たちと、あと 今の市長の川村たかしさん。 川村さん、こっちの酔い方がひどくて気づいたらスーッと他の車両に逃げてたね(笑)。 川田:KUSHIDAも酒癖悪かった! あんな爽やかな顔して、けっこう飲むとひどいんですよ。 でもアイツが 今の奥さんと結婚に結びついたのは俺と飲みに行ったのがきっかけだからね。 アリーナの試合が終わって、環八沿いのステーキ屋さんにタクシーで行って、そこで飲んでいたらKUSHIDAが絡み酒で恋愛相談してきて……それで「つきあっちゃえばいいじゃん!」って言った相手と結婚したんだから。 ラーメンの基本が一緒なら、まわりは変わってもいい そして2010年からオープンした ラーメン屋「麺ジャラスK」。 著書の各章のタイトルを見ても 「あっという間に消えた1000万円……開業資金はいくらあっても足りない!」「そして、俺はベンツを3台、スープに溶かした……」「『脱サラ』をしてもラーメン屋だけは絶対にやるな!」と、見出しを読むだけでヒヤリとするような言葉が綴られています。 しかし、現在の自慢のメニュー 「カレー白湯ラーメン」は鶏白鶏スープをベースにした濃厚かつ食べやすい、量もたっぷりの満足感高いラーメン。 また、もうひとつの名物 「鶏唐揚げ」も時間をかけた仕込みを感じさせる味わいで、こちらもやはりサイズが大きい! 味・量ともに満たされる、まさに「四天王プロレス」なラーメンです。 美味しかったんだけど、自分の料理のベースが中華料理屋さんから教わった「なんにでも合うさっぱりしたスープ」だったから、ラーメン屋さんで出すには もっと特徴のあるスープじゃないと……と、いろいろ考えて鶏白湯を使ったカレー白湯を作ったんです。 それまでエビとか煮干しとか、いろんなスープを試しましたよ。 ただ、ほとんどは出した時だけは食いついてくれるけど、 お客さんってすぐ飽きるんですよ。 そのなかで定着したのが今のカレー白湯だけど、それだっていつ飽きられるかはわからない。 川田:そろそろ飽きられてきたな……って思ったら、大きなチェーン店だと「お店が入れ替わりましたよ」ってふりをして、同じ系列店が後に入ったりするじゃないですか。 俺みたいな個人店はそういうフェイクは出来ないから、 堂々と「変えました、次はこれです!」って言うしかないんです。 スープだって、ある程度の周期で変えていかないと飽きられちゃう。 プロレスは「3年周期でいろんなことが変わる」って昔は言われていたけど、ラーメンだって何年周期かで変化してる。 それがいつかはわからないけど……また変えていくかもしれないです。 川田: お店を始める時はベンツ3台持ってましたけど、ぜんぶ売り払いましたからね。 それでも運転資金が足りなくて、生命保険まで解約しました。 そこまでしてでも味は妥協したくはなかったですから。 そこは意地ですよ。 ハッスルで見せた起用な川田さんの姿、というか。 川田:次のラーメンやサイドメニューをどういう風にして変えていこうか 考えたりしていると、寝られなくなるんですよ。 基本は変えなくても、添えるものを変えるとか、いろいろアレンジしていかないと、お客さんは飽きちゃうんで。 基本が一緒なら、アレンジが変わってもいいじゃないですか。 川田:ただ、最近ショックだったことがあって。 唐揚げの付け合せはずっとマッシュポテトかキャベツと人参のコールスローだったんですけど、ここ1週間くらい大根と人参のコールスローに変えてみたんですよ。 それがあまりに反応がないから「変わっているのわかりました?」っていつも来ているお客さんに聞いたら 「あっ、そういえば……」って言われてさあ(苦笑)。 それはショックだったね。 こだわっている部分だから、そこはわかってほしいな! ご本人の著書では、かつてのレスラーとしての自分と、そしてラーメン屋さんの店長として自分のふたつの側面を語り、その無口なイメージからは思いもよらない器用でアイデアマンな姿も見せてくれます。 そして、自分の信じたものを最後まで貫く無骨さは昔から見ていたとおり。 今年で開店から丸10年となる、麺ジャラスK。 ちなみにレスラー・川田利明の10年目というと初めて三沢さんと三冠ヘビー王座をかけて戦ったという四天王プロレスの黎明期でもあります。 それを思えば、麺ジャラスKの黄金期はこれから始まるはずです。 お店情報 麺ジャラスK 住所:都世田谷区喜多見6-18-7 ビスタ成城 1F 電話番号:03-3415-5333 営業時間:水曜日~月曜日12:00~14:00、18:00~22:00 日曜営業 定休日:火曜日.

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