ナディア コマネチ。 ナディア・コマネチの現在や旦那(夫)と子供について【爆報フライデー】

『 ルーマニアの旅【1】 国民に革命の勇気を与えた、「白い妖精コマネチ」を訪ねて』ルーマニアの旅行記・ブログ by さすらいおじさんさん【フォートラベル】

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カダフィ(リビア)やムバラク(エジプト)といった独裁者たちが、長期にわたる腐敗と失政の報いを受けようとしている。 権力の椅子にしがみつこうとする孤独な男たちには、様々な共通項が見出せるが、その権力を引き継がせようとする「息子」たちが何の資質も持ち合わせていない放蕩息子ばかりだという共通点は興味深い。 落合信彦氏が解説する。 * * * カダフィの放蕩息子たちの見るに堪えない振る舞いは、独裁者の息子としては、決して例外的なものではない。 私がまず思い出すのは、冷戦下の東欧で秘密警察「セキュアリターテ」を使って国民生活を逐一監視し、飢餓に苦しむ一般市民を差し置いて自分と家族にだけは豪奢な生活を許していたルーマニアの独裁者ニコライ・チャウシェスクとその息子のことである。 1989年12月24日に起きたルーマニア革命により、チャウシェスク夫妻は銃殺処刑された。 私が首都・ブカレストに取材に入ったのはその直後のことだったが、市内の光景は異様だった。 日々のパンも手に入れられないような国民が暮らしているというのに、中心部にはチャウシェスクが建設させていた地上10階建て、3000以上の部屋を誇る宮殿がそびえ立つ。 その正面の通りは、チャウシェスクが出した「パリの大通りよりも広い通りを!」という指示に基づき、シャンゼリゼ通りよりも1m広い幅で作られた。 地下道は戦車も通れる。 財政破綻寸前だったルーマニアで、この道を真っ赤なフェラーリで疾走していた男がいた。 それが、チャウシェスクの次男・ニクであった。 ニクが車を乗り回す時はセキュリティが張り付き、大通りには10mおきに警察官が配備された。 一般市民の生活水準など無視したチャウシェスク一族の象徴であったと言えよう。 ニクは、未成年のうちから酒を飲んではお気に入りの車を運転し、あげくに交通事故を起こし、またある時はレイプなどの犯罪行為に走っていたという。 もちろん、彼が罪を問われることなどない。 「俺を一体、誰だと思っているんだ」その一言で、ルーマニアの全ての警察官は独裁者の息子にひれ伏すのである。 そんな男でも、父親の威光があれば、国や党の要職が与えられる。 32歳の若さでルーマニア共産党中央委員に選出された。 これでは本人が行ないを改めるはずはない。 そんなニクの毒牙にかかり、人生を狂わされた女性がいる。 1976年のモントリオール五輪の体操で史上初めて10点満点を叩き出し、金メダルを獲得した「ルーマニアの白い妖精」ことナディア・コマネチであった。 国民的ヒロインは、独裁者の息子から毎晩のように夜の街へ付き合うように求められ、愛人関係となることを強いられた。 もちろん、当時のルーマニア国民に、チャウシェスク家に逆らえる人間など一人もいない。 身も心もボロボロになったコマネチは、命からがらオーストリア経由でアメリカへと亡命する。 革命の1か月前のことであった。 ルーマニア革命が起きた時、ニクは別の愛人と車で逃走しようとし、逮捕された。 連行されるニクの愚かで哀れな姿は国営放送で生中継され、視聴した国民は大いに溜飲を下げた。 その後、横領罪などに問われた裁判中に、ニクは肝硬変でこの世を去った。 ストレスや深い思考、自省の念などと無縁のまま40年近く生きた男にとって、「本当の世界」はあまりに苛酷だったのだろう。

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ナディアコマネチの現在と若い頃の顔画像!夫や子供についても

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1976年に行われたモントリオールオリンピックで3個の金メダルを獲得した。 またこの大会で体操競技選手としてオリンピックの舞台で初めて10点満点を獲得した。 1980年のモスクワオリンピックでも2個の金メダルを獲得した。 彼女はオルガ・コルブトと並び世界中で最も知られた体操競技選手となり競技の人気を高めた。 1993年に国際体操殿堂入りしている。 コマネチは、ルーマニアのゲオルゲ・ゲオルギュ=デジ市(現在のバカウ県オネシュティ)で、ゲオルゲとシュテファニア=アレキサンドリナ夫妻の下に生まれた。 6歳の時に名コーチベラ・カロリーに見出され、英才教育を受けた。 1969年には国内選手権で13位に入った。 9歳でルーマニアのジュニア選手権を制覇し、1971年には初の国際大会となるユーゴスラビアチームとの大会に出場し団体と個人総合で優勝を果たした。 1975年にノルウェーのシーエンで行われたヨーロッパ体操選手権で種目別のゆかで銀メダルとなったのを除き個人総合、種目別全てで金メダルを獲得するなど、幼いときから数々のタイトルを獲得してきた。 プレオリンピック大会としてモントリオールで開かれた大会で彼女は個人総合と平均台で金メダル、跳馬、ゆか、段違い平行棒ではネリー・キムに次いで銀メダルとなった。 1976年3月にニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで行われたアメリカンカップの跳馬で10点満点を出し、日本で行われた中日カップでも跳馬と段違い平行棒で10点満点を出した。 同年14歳で参加したモントリオールオリンピックで、段違い平行棒と平均台の演技で近代オリンピック史上初めての10点満点を出し、個人総合と併せて金メダル3個、団体で銀メダル、ゆかで銅メダルを獲得した。 この時オリンピックを運営するIOCや審判団は体操競技で実際に満点が出ることを想定していなかったため(当時は9. 99までしか採点掲示板に表示できなかった)、掲示板には1. 00点と表示された。 彼女は個人総合で優勝した初のルーマニア選手となると共に史上最年少での個人総合優勝を果たした(当時は14歳以上でオリンピックに出場できたが現在オリンピックに出場するには16歳以上でなければいけないので今後もこの記録が破られる可能性は低い。 純白のレオタードが似合う可憐な容姿や見事な技が観衆を魅了し、「白い妖精」と呼ばれた。 帰国した彼女はニコラエ・チャウシェスク大統領から勲章をもらった。 元々この曲は五輪やコマネチのために書かれたものではなく、1971年に公開された映画『動物と子供たちの詩』(Bless the Beasts and Children)のサウンドトラック『Bless the Beasts and Children』に収録されていた楽曲(本来のタイトルは「Cotton's Dream」)でありアメリカの昼ドラ、ヤング・アンド・ザ・レストレスのテーマソングにも使われていた。 彼女がこの曲を使って演技することはなかった。 彼女がゆかの演技で使用した曲はYes Sir, That's My BabyとJump In The Lineをピアノにアレンジしたものであった。 彼女はUPI通信社が選ぶ年間最優秀女子スポーツ選手に1975年、1976年と2年連続で選出されている。 またAP通信社が選ぶ最優秀女子スポーツ選手にも1976年選出された。 幼少期は、かなりのおてんばでソファーでとびはねるのが日常茶飯事であり、しまいには家具を壊すことがあったとのこと。 ルーマニア西部の町、デヴァにあるナショナルチームの練習場とその附属の学校(エリート養成)には彼女の名前が冠せられており、そこからシモナ・アマナールなど多くの体操選手が育っている。 日本では、彼女のハイレグのウェアをもとに、ツービートのビートたけしによる「コマネチ」というギャグが80年代前半に流行した。 2011年10月13日放送の『たけしの等々力ベース』では、ビートたけしとコマネチが共演し、二人で「コマネチ」を行った。 Suggested by International Olympic Committee• Song• Artist• HASYMO• Album• Writers• Harry Hosono, 高橋幸宏, Ryuichi Sakamoto• Licensed to YouTube by• Avex Inc. on behalf of commmons ; Muserk Rights Management, and 7 Music Rights Societies Show more Show less.

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そうだ、モントリオール大会でオリンピック史上初の『10点満点』を連発して世界中の人気者となった、ルーマニアの女子体操選手だ。 しかし、彼女の人生は壮絶なものだった…! 【雑学解説】世界から「白い妖精」とよばれたナディア・コマネチ ナディア・コマネチは、1961年ルーマニアで生まれた。 幼少期から体操をはじめた彼女は、 6歳でオリンピック選手を目指すエリートの集まる体操教室に入る。 そこでコマネチは、体操競技の名コーチであったベラ・カロリー氏に才能を見出され、徹底した管理のもとに英才教育を受けた。 1971年、 10歳になったコマネチは、はじめて 国際大会に出場した。 そこではユーゴスラビアチームと戦い、団体と個人総合の部両方で優勝! 1975年には、 ヨーロッパ体操選手権に出場。 ゆか運動で銀メダル、 それ以外の種目別すべてと個人総合では金メダルを獲得した。 コマネチは、オリンピックに出場する前から次々とすばらしい功績をあげていたのだ。 そして1976年。 ついにそのときがやってくる。 14歳にしてモントリオールオリンピックに出場したコマネチは、それまでのオリンピックではだれも成し得なかった 「10点満点」を出して 金メダルを獲得した…!! 10点満点を出した、モントリオールオリンピックの動画がこちらだ! まさに『完璧な演技』だな…! 軽快で見ていて気持ちがよく、安心して見ていられる演技だな、と筆者は感じた。 パーフェクトなこの演技で、コマネチは 10点満点を記録に残した。 このモントリオールオリンピック後コマネチは、その可憐な見た目と白いレオタード姿から 「白い妖精」と呼ばれるようになった。 満点なのに掲示板の表示は「1. 00」だったコマネチの演技 このときのコマネチの10点満点の演技は、だれが見ても完璧なできばえであった。 だが、 得点の表示される掲示板には「1. 00」という数字が表示された! これは、大会運営側がそれまで10点満点が出るとは思っていなかったため、 掲示板には最高でも「9. 99」点までしか表示することができず起こったことであった。 しかし、コマネチの祖国であるルーマニアでは当時、ニコライ・チャウシェスクという政治家による 独裁的な政治が行われていた。 警察さえもチャウシェスクのいうことには逆らえない、チャウシェスク政権の管理下で自由のない生活は、金メダリストであるコマネチにも例外なく影響を与えることになる。 その可憐な見た目と自身のすばらしい功績ゆえ、チャウシェスクに目をつけられてしまったコマネチ。 チャウシェスクの息子と愛人になり毎夜のように夜の町へ付き合うように、と命令されてしまう。 コマネチの家族でさえ彼らに逆らうことはできず、つらさに耐えかねたコマネチは、 アメリカへの亡命を決意するのだった。

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