土御門邸の秋 現代語訳。 『紫式部日記』「土御門邸の秋」の現代語訳と重要な品詞の解説1

紫式部日記の現代語訳が知りたいのですが…

土御門邸の秋 現代語訳

清和源氏。 頼光の孫。 正四位下美濃守頼国の息子。 母は藤原信理の娘。 頼家の甥。 弟の・国房・師光 の父とは別人 も勅撰歌人。 六条院宣旨は妹か 尊卑分脈一本。 長久四年 1043 、蔵人に補せられる。 従五位下左衛門尉に至る。 ・・・藤原経衡・源頼家ら家司・受領層歌人から成る和歌六人党の一人。 源師房の土御門邸にも出入りし、長暦二年 1038 ・長久二年 1041 の師房主催歌合に出詠している。 住吉に参詣して秀歌一首と引き換えに命を差し出す祈請をしたなど、歌道執心の逸話を残す 袋草紙。 寛徳元年 1044 六月七日、三十歳で夭折した。 家集『頼実集』(『故侍中佐金吾集』とも)がある。 後拾遺集初出。 稲荷の社ちかき所にて、夕郭公といふことを人々よみ侍りける時 稲荷山こえてや来つる時鳥ゆふかけてのみ声のきこゆる (玉葉328) 【通釈】稲荷山を越えて来たのだろうか、ほととぎすは、夕方にばかり声が聞える。 秋風 吉野山もみぢ散るらし我が宿の木ずゑゆるぎて秋風のふく (頼実集) 【通釈】吉野山の方では紅葉が散っていることだろう。 我が家の庭の梢を揺るがして、秋風が吹く。 【補記】山深い吉野では、里に比べ秋の深まりが早いと考えられた。 夫木抄では結句「秋風ぞふく」。 落葉如雨といふことをよめる 木の葉ちる宿はききわくかたぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も (後拾遺382) 【通釈】 風が吹くたびに、屋根に木の葉の散る音がする。 まるで通り雨の音のようだ。 この家では、聞き分けるすべもないな。 時雨が降る夜も、降らない夜も。 【補記】『袋草紙』によれば、この歌は西宮広田社で詠まれたが、当座は誰も驚かなかった。 後日、頼実がいつものように住吉に参詣して秀歌を得ることを祈請したところ、夢に神が示現して「もう秀歌は詠み終えた。 あの落葉の歌がそうではないか」とお告げがあった。 その後、この歌は秀歌の誉れを恣 ほしいまま にした、という。 なお、第三句を「ことぞなき」とする本もある。 【他出】故侍中左金吾家集、新撰朗詠集、和歌一字抄、袋草紙、今鏡、古来風躰抄、無名抄、西行上人談抄、六華集、題林愚抄、兼載雑談 【主な派生歌】 しぐるるも音はかはらぬ板間より木の葉は月のもるにぞありける 時雨かときけば木の葉のふるものをそれとも濡るる我が袂かな 藤原資隆[新古] 更新日:平成15年03月21日 最終更新日:平成22年06月24日.

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紫式部日記『秋のけはひ』現代語訳

土御門邸の秋 現代語訳

紫式部日記の現代語訳が知りたいのですが… まだ夜深きほどの月さし曇り、木の下をぐらきに、 「御格子参りなばや。 」 「女官は、今までさぶらはじ。 」 「蔵人参れ。 」 など言ひしろふほどに、後夜の鉦打ち驚かして、五壇の御修法の時始めつ。 われもわれもと、うち上げたる伴僧の声々、遠く近く、聞きわたされたるほど、おどろおどろしく尊し。 観音院の僧正、東の対より、二十人の伴僧を率ゐて、御加持参りたまふ足音、渡殿の橋のとどろとどろと踏み鳴らさるるさへぞ、ことごとのけはひには似ぬ。 法住寺の座主は馬場の御殿、浄土寺の僧都は文殿などに、うち連れたる浄衣姿にて、ゆゑゆゑしき唐橋どもを渡りつつ、木の間をわけて帰り入るほども、遥かに見やらるる心地してあはれなり。 斎祇阿闍梨も、大威徳を敬ひて、腰をかがめたり。 人びと参りつれば、夜も明けぬ。 この部分をお願いします。 できれば、早急にお願いします。 『紫式部日記』冒頭近く(中宮彰子のお産が近づき、邸には祈祷の僧らが詰めている) まだ夜が明けぬうちに月が雲に隠れ、(お庭の)木の下も暗いので、 「御格子を下ろしましょうか。 」 「 格子を下ろしたりする役目の下級の 女官は、こんな時間までお仕えしてはいないでしょう。 」 「女蔵人が御格子を下ろしなさい。 」 などと(女房たちが)言いあっているうちに、後夜(明け方の勤行)の鉦を打ち鳴らして、五壇の御修法(五大明王にあげる祈祷)の決まりの勤行が始まった。 われもわれもと、声をはり上げた伴僧の読経の声々が、遠く 近く、聞こえてくるのは、盛大で尊い思いがする。 観音院の僧正(権僧正勝算)が、東の対から、二十人の伴僧を率いて、御加持のために(寝殿に)いらっしゃる足音が、渡り廊下をどしどしと踏み鳴らして行かれる(のが聞こえる)のさえ、普段とは様子が違う。 (祈祷を終えた)法住寺の座主(大僧都慶円)は馬場の御殿へ、浄土寺の僧都(権少僧都明教)は文殿へと、お揃いの法衣姿で、立派な唐橋などを渡り、(その姿が、庭の)木々の間をわけて(見え隠れしながら)帰っていくのも、遥かに見送られるような気持ちがして、しみじみと尊い。 斎祇阿闍梨も、大威徳明王を礼拝して、腰をかがめている。 女房たちが参上するころには、夜も明けた。

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『紫式部日記』彰子中宮のサロンがつまらないのは中宮のご気性ゆえ

土御門邸の秋 現代語訳

清和源氏。 頼光の孫。 正四位下美濃守頼国の息子。 母は藤原信理の娘。 頼家の甥。 弟の・国房・師光 の父とは別人 も勅撰歌人。 六条院宣旨は妹か 尊卑分脈一本。 長久四年 1043 、蔵人に補せられる。 従五位下左衛門尉に至る。 ・・・藤原経衡・源頼家ら家司・受領層歌人から成る和歌六人党の一人。 源師房の土御門邸にも出入りし、長暦二年 1038 ・長久二年 1041 の師房主催歌合に出詠している。 住吉に参詣して秀歌一首と引き換えに命を差し出す祈請をしたなど、歌道執心の逸話を残す 袋草紙。 寛徳元年 1044 六月七日、三十歳で夭折した。 家集『頼実集』(『故侍中佐金吾集』とも)がある。 後拾遺集初出。 稲荷の社ちかき所にて、夕郭公といふことを人々よみ侍りける時 稲荷山こえてや来つる時鳥ゆふかけてのみ声のきこゆる (玉葉328) 【通釈】稲荷山を越えて来たのだろうか、ほととぎすは、夕方にばかり声が聞える。 秋風 吉野山もみぢ散るらし我が宿の木ずゑゆるぎて秋風のふく (頼実集) 【通釈】吉野山の方では紅葉が散っていることだろう。 我が家の庭の梢を揺るがして、秋風が吹く。 【補記】山深い吉野では、里に比べ秋の深まりが早いと考えられた。 夫木抄では結句「秋風ぞふく」。 落葉如雨といふことをよめる 木の葉ちる宿はききわくかたぞなき時雨する夜も時雨せぬ夜も (後拾遺382) 【通釈】 風が吹くたびに、屋根に木の葉の散る音がする。 まるで通り雨の音のようだ。 この家では、聞き分けるすべもないな。 時雨が降る夜も、降らない夜も。 【補記】『袋草紙』によれば、この歌は西宮広田社で詠まれたが、当座は誰も驚かなかった。 後日、頼実がいつものように住吉に参詣して秀歌を得ることを祈請したところ、夢に神が示現して「もう秀歌は詠み終えた。 あの落葉の歌がそうではないか」とお告げがあった。 その後、この歌は秀歌の誉れを恣 ほしいまま にした、という。 なお、第三句を「ことぞなき」とする本もある。 【他出】故侍中左金吾家集、新撰朗詠集、和歌一字抄、袋草紙、今鏡、古来風躰抄、無名抄、西行上人談抄、六華集、題林愚抄、兼載雑談 【主な派生歌】 しぐるるも音はかはらぬ板間より木の葉は月のもるにぞありける 時雨かときけば木の葉のふるものをそれとも濡るる我が袂かな 藤原資隆[新古] 更新日:平成15年03月21日 最終更新日:平成22年06月24日.

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